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2018年7月 3日 (火)

東洋の真珠 女優・栗原小巻

“世界にコマキストを拡散”させたコミュニケション力の真実!
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1973 2 時事通信社

 

東洋の真珠 女優・栗原小巻

 

“世界にコマキストを拡散”させたコミュニケーション力の真実!

 

目    次

 

序に代えてー人間性喪失危機の今だからこそ振り返ろうこの女(ひと)を!  /人気と実力の相互補完/軸足が日本であること


  1
.コマキストとサユリスト:早々に見え始めてきた小巻人気の特徴:近くも
    遠きも、浅きも深きも(空間)/夢かうつつか幻か(虚実)/いついつまで
    も(時間)

  2
.美という説得構造―アリストテレスのエトス

 


3
.『忍ぶ川』(1972):栗原だからこそ表現できた日本女性の美しさ、佇ま
   い、恥じらい、可憐さ、はかなげさ/永存(perpetuity)と拡散/対談:荻
   昌弘と栗原小巻/「小巻=志乃」ではないが永遠の命を与えた母として


4
.<本物><本格派><大器>への道
  補完のメカニズム/ロシア人が見たこともないジゼルの原点


5
.色々な想像をかきたてるプラモデル ー“偉大なる悲劇″を溝口健二の『雨月物語」『近松物語』風に


6
.栗原小巻と中国、ロンドン、ニューヨーク


7.
小巻の流したひとしずくの涙(1978週刊女性 7.4
何もわかっていなかった評論家・俵萌子(1974 7.1 女性セブン)/結婚か
女優か?


現実は実存の砂漠なりー虚構の中にある真実を求め、増幅させ、世の為人の為に捧げんとした栗原小巻 

8.コマキスト拡散に.舞台に重点を置き直すことで得たもの―新劇界のプリンセ
 ス・演劇
界の女王の地位と役者としての実力/ドラマを通しての総合的訓練/
 
小巻と言語力(日本語、ロシア語、中国語)/歌と
朗読「愛は蜃気楼のよう
  に」、日本人の心と品格「君死にたまふことなかれ」等は、活動範囲の広がり
  というよりInterpretive Readingへの目ざめと深化、小巻の進化の証ととり
  たい

 

9.NHk大河ドラマ・ 民放歴史ドラマに出演した意味 1967『三姉妹』の雪と “コマキス”の誕生/1970『樅の木は残った』のたよ(ハムレットのオフィ  リヤ)『黄金の日々』の美緒

 

10.『直虎』での感動的演技―於大とお江与を同期(シンクロ)させる!!小巻の感性か?

 

有働由美子のトンチンカン質問

       
1970年日本テレビ『竹千代と母』小巻20歳の母と竹千代/1983関西テレビ『大奥』、の小巻38歳の母(お江与)と竹千代/2017NHK大河ドラマ

11.美しく年齢を重ねて還ってきた「志乃」:忍土の闇を照らす東洋の真珠…「あさイチ」出演――世界への発信の原点


12.
現実と虚構の狭間(虚実皮膜)に漂い「真実と美」を探し求めフォルム
させてきた小巻は、文化の継承者でもあり自らが生ける文化である

13. 熱き心には熱き心で…小巻は何を思ってこれらの作品を選んだのだろうか、
その心を探りながら、自分だったらどう動くか考えよう(霊操のすすめ)。
同時
にアーカイブの更なる充実を! 

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1.コマキストとサユリスト:見え始めてきた小巻人気の特徴


その昔二人の美女ありき。といってもそれほど昔ではない。それどころか今もお二方ともにご健在である。1945年3月13日生まれの吉永小百合と一日遅れ314日生まれの栗原小巻である。そしてそれぞれにサユリスト、コマキストと言われる熱烈なファンがいた。

まず小百合は支持層にとっては、海の比較的浅く光の届くところで泳ぐ色とりどりの魚で、常に目に留まる深さのところにいてくれた存在であったようである。だから彼女が結婚した日は会社の課長、部長クラスの男性がこぞって休暇をとってしまったと言われていたものである。

 

近くも遠きも、浅きも深きも(空間)

小巻の方もそうである。が、ただ、二人の人気の違いは早々に見え始めてきた。小巻人気は日本の海域ばかりでなく北方海域(?)にも及んでいった。つまあり「近くも遠きも」であった。彼女がプールで泳いでいる時にサインを求めようと、服を着たままプールに飛び込んでしまった人達がいるとロシア人監督がいっていた。タイガースの優勝時に道頓堀に飛び込んだ御仁顔負けのファンは外国にもいたということである。

さらにはファンの層であるが、雑誌のインタビューではこんなことも小巻自身いっている。「ちょっと照れくさいんですが」と断りを入れながら「わたしのファンは学生から70のおじいちゃんまで、割と広いんです」(「週刊朝日」1971.7.16 )

広いこともそうだが、より深いところから、人々の深い部分の人心をえぐってくるところがあったのではないか。

 

永橋和雄氏はこんな風に栗原小巻を表現している。

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栗原小巻は暗緑色の常闇にすむ深海魚の様に審美的だ。一条の強い光でも当てようものなら無数の微粒子に分解する。そして微粒子は光を変幻に反射し、海中に鮮やかな色彩をちりばめ跡形もなくその姿を消してしまうであろう。まさしく幻の深海魚なのである。
(「婦人公論」1975.8永橋和雄)

 

深海魚イメージには理由がある。ひとつは、芸能評論家の加東康一氏のいうごとく、彼女の立あらわれかたである。加東氏のいうごとく、現れる場所、時期に適度な空白があり、それが「情報飢餓」状態を作り出し、これも人気に拍車をかけている面があるようである。

もう一つは、なんといってもますます顕著になっていったその演技力が人を

現実の世界ではかなわない真や美の世界に誘うということではないかと思う。早くから本物、本格派、大器と言われて、玄人受けする演技力が育っていっている。従って中高年から、実際、この人が、小巻より先輩格の俳優、評論家、ジャーナリスト、マスコミ人といった面々の審美眼に叶うのか、ともかく小巻への熱い思いをつづっている。私は、図書館の資料を目の前にして圧倒されてしまった。どこからどこまでがあの美貌に対する思いなのか、演技に対する敬意と期待なのか、年齢が高く社会的地位が確立していればその分だけ面影も心の襞に深く入り込み、深く長く残り続ける。そしてその支持層はソ連、中国ではここにも及び、公的な地位にある人達も多くが彼女の虜になっていく感じであった。まさに万天下の男性の恋情を振り絞るがごとき熱烈さであった。

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映画完成記念パーテーにて


 

小説家・結城昌治氏いわく。「会う前からコマキスとを自認していたけれど、会ったとたんに目がくらみ、頭がぼんやりしてしまったのである。有史以来、世界中のどこにこれほどの美女がいたかという思いだった。一体何を喋ったのか、おぼえているわけがない」―。

 

次は映画評論家の荻昌弘氏。毎日新聞社時代に小巻との対談が終わって彼女と別れたあとで、傍聴に来ていたこれまた栗原小巻を守る会の記者2人に荻が自発的に言い放っている。

「吉永小百合の結婚なんて、別にどってことないですよ。でも、小巻チャンがそういうことになったら、僕は二三日寝こむかもしれないナ、目の前が真っ暗になって,ボーッとする」

記者たちはあっけにとられて即座に荻氏を「栗原小巻を守る会」の名誉会長にしたそうである。その荻氏は、対談前の様子をこのように報告している。

 

「内輪の話で恐縮だが、我が毎日新聞社会部にも、コマキスト・グループが存在した。彼らは、彼女が本誌の巷談舌語のゲストとして登場することを、いずこからか聞き及んで『オレにも傍聴させろ』『いやお前だけでは不公平だ、オレにも傍聴を希望する』と一大騒動を起こした。担当記者は、部外者が対談に出席する前例がなかったため、はたと当惑した。抽選にするのは面倒だ。しからば本欄担当の権限を持って、傍聴者2名だけをきめようということになった。傍聴の“幸せ”をつかんだのは「栗原小巻を守る会」会長と、事務局長である。一人は墨東地区の警察を担当するサツ記者、そして一人は社会部遊軍である。対談は異例の傍聴者二名を加えてはじまる。」(「サンデー毎日」1973.4.22

結城氏や荻氏の例のように、実際に話してみて、好感度が増すとか、とりこになるパターンは、会って失望させるタイプより、はるかに小巻が本物であるという証拠であろう。

 

小巻を取材するということが知れると、取材担当記者は羨望の的になり、当日は普段は顔を出したことがないテレビ局や新聞社、雑誌社の上役クラスもぞろぞろ出てきたというから痛快だ。

しかしその程度ならまだいい。ある民放局、小巻が出演するときは、事前にスタッフの身元調査を行って、妻子ありを条件に編成するという余談がある(「週刊朝日」1975.11.21

 

次は、政治評論家の藤原弘達氏。「私の好きな人」というタイトルでこう書いている。

「7,8年前かと思う。テレビの対談で一目あった時から、君のとりこになってしまった。また初々しくて、冗談を言ってからかうと、頬が赤くなる。大きな目でいぶかしげに僕をみつめる。もう胸がワクワクしてしまった。夕闇の中に咲いた牡丹一輪、そんな表現が君にはぴったりだった。

最近の若い女優など、君に較べると月とスッポン。女房が居ても恋人としての女がほしいーーいくつになっても変わらぬこの男心をくすぐるのは、栗原小巻クン、君しかいない。『時事放談』という番組で、細川隆元氏に僕がこう言ったことがある。『おい、君、もしパトロンになって女を妾にするとしたら誰がいいかね』僕は人もちろん君だと答えた、『あれはまだ結婚していないから、君の手には負えんよ』と言われて顔色をなくした。君は情が深く六十近い僕ひとりでは手に追えないという意味だ。その君も三十をいかにも越え、ますます妖艶になっていく。

願わくば、早く結婚していただきたい。そして、僕の手に追えるようになってもらいたいのだ。」 (「週刊文春」1978.6.7

 

いかにも藤原らしい。

 

次には、”極道“のイメージが鮮烈な、あのこわもて若山富三郎氏である。記者が「小巻さんのファンだそうですね」といった瞬間,富さんの身体がグニャッとなった。頭をかくやら尻をかくやら大てれ。まるで恋知り染めた少年のようだったそうである。(中略)

「再婚のすすめにも頑として耳を貸さなかった。それもそのはずである。何せ親分には、栗原小巻という旨の奥底に秘めた恋人がいたのだからー」だそうである。

きっかけはたまたま入った映画館。「忍ぶ川」を見て思った。「こんな女が日本にはまだいたのか」。小巻への思慕の念は、いや増すばかり。もうブレーキがきかない。で、日生劇場に当時「アンナ・カレーニナ」に出演中の憧れの君をたずねた。

「花束を持って行って、芝居をみたあと楽屋に通されたんだがね、途中でむねがどきどき、わくわくしてしちまってね。彼女の顔を見たらドモリっぱなしで口もきけないんだ。天下の若山富三郎ともあろう者が情けないていたらくだったよ、ウン」(「週刊平凡」1976/2/5

 

実弟の勝新太郎とともに芸の厳しい家系に育った若山、その彼が、見初める魅力を彼女はもっていたのだということである。もう自分のプロダクションで映画をとるしかないといって『因の島の花』昭和初期、四国に実在した麻生トキという、美貌の女親分の半世紀の惚れた男の執念で書きあげたという。そして「この映画は彼女にとっては冒険だろうが、これを 演じ切れたら、彼女は役者として成長することは間違いないんだ」と断言したという。もっともそういいながら「嫌われたくないと躊躇っていたところを雑誌社が間にまさに万天下の男性の恋情を振り絞るがごとき熱烈さである。立って、話しをまとめようとしたそうである。

 

この話の顛末はどうなったか私は知らない。若山と栗原が共演はするようにはなっている。しかし、翻訳劇が圧倒的に多い世界にいながら、純粋に日本語で書き下ろされたまさに万天下の男性の恋情を振り絞るがごとき熱烈さである。若山の台本はどうなったのか、小巻の琴線に触れなかったのかどうか。そんなことを考えながらちなみに『大奥』で小巻のお江与を栗原の生殺与奪の権限を持つ若山家康が、実生活では栗原がその力をもっていた感じで何とも微笑ましくなってくる。

 

夢かうつつか幻か(虚実)

 

栗原小巻の人気の次の特徴は、そのちょっとばかり複雑な構造である。いままで述べてきたことは一次元から三次元までの世界でのことであったが、そればかりではなく、虚と現実の世界が入りくんできているところがあるのではと私はひとりでおもしろがっている。

まず、興味深いのはドラマの外、すなわち実生活にいてばかりでなく内においても、とても美しい人などのイメージが決まっていて「ああこりゃあ、またダメだ」と見ている観衆だけではなく中の人物までがそう思っているらしいということ、そしてそのことが観客にみえてしまっている確率が高そうであったが勘違いか。美保純などは渥美に「どうせまた振られてなくことになるんだから」などと悪態をついている。つまり男性側からすれば恋の成就のダメ度が極めて高い。結論。あの人懐っこそうな“小巻スマイル“は、知らずうちに男が引きずり込んでいるところがあるのかもしれない。原作者にしても役が栗原と決定している脚本家レベルはもとより原作のレベルで栗原の存在が登場人しかし物のせりふ、立ち回りに影響を与えてしまっている度合いが高い人はそうはいなかったのではないか。あるいは原作者は栗原をイメージしていないのに彼女が演ずることによって人物が美しい人・栗原小巻になり周囲の人物もそれを演ずる役者も影響されていくというところがある気がした。この典型は『忍ぶ川』である。

 

ドラマの外に作り出されるドラマ性まである。事実は小説よりも奇なりと通づるところがある。ロマンスの噂が色々あった。当然である。しかし浮いた話などではない。だいたい男性の方も自信がないと続かない。先の加東康一氏の言葉を借りると、栗原小巻の「話題の相手に擬せられた男性たちは、根も葉もないうわさの人も含めて、一様にまんざらでもないという顔をして見せたのは、彼女の魅力のしからしめるところむだったに違いない」といっている(1978.5「主婦の友」)噂の相手にノミネートされるだけでもいいということだったのだろう。

そしてどうやら今だったならばストーカーにでもなっていたかもしれない男性(群)も、厳然として違うのは、格好の悪い自分をさらしたくはなく、むしろ女優・栗原小巻をそれなりに理解していてその高みに届こうとして背伸びをし、格好をつけ、『カサブランカ』のボギーになって空港で別れを演じたり、玉砕してしまうのではないかということである。近松の言う虚実皮膜だ。実際、海を隔てた悲恋物語的でそのまま映画化けしてもよさそうなものもあったような気がする。今、スキャンダル渦中の男性までいっときの夢を見させてくれるようなカリスマ性の高い女優はどれほどいるだろうかー。

女優冥利、いや女冥利に尽きるといったらいいか、彼女にかかわる男性がそこで伸びあがろうとして、それが仕事の質の向上につながり、世の中されだけよくなる方向につながっていったとしたらそれはめでたいことである。

 

いついつまでも(時間)

そしてこれだけは小巻の為にはっきりいっておきたいのは、決してその人気が若い間の一時的な現象ではないということである。少し長いが、「サンデー毎日」SCOOP’83の写真入り記事を転載させてもらう。

 

「化粧」に見る永遠の女優・小巻/中年入りしたコマキスとの複雑

 

小巻さま御許へ

お懐かしう存じます。と申しあげても、貴女のほうではご存じないのでありまして、小生がコマキスとのはしくれであっただけのことでございます。

しかし我らコマキスとの貴女様に捧げる思慕の情は、まさに至誠天に通ずと言った類のものでありました。当節のガキ奴(め)がアイドルに群がって軽躁このうえなく、しかもいったん飽きれば潮の引く如く去るといったそれではなかったのでした。

ただひたすら,お慕い申し上げたのでございます。

大輪のばらのようなお姿、エメラルドのような瞳、ビロードのようなお声。月並みな形容で恐縮なのですが、貴女の気品と情熱にあふれる存在が、単に女優というお仕事を超えて私どもに夢を与えてくださったのでした。

年は去り、月は流れー。日々の生活に倦(う)み疲れ、スクリーンや舞台から遠のいて久しい中年男の私どもには 「三姉妹」の御雪も「みつめいたり」の和歌子も、あるいは「三人姉妹」のイリーナ摸「忍ぶ川」の志乃も、はてまたデズデモーナも八百屋お七も、遠い昔の風景となりました。

もちろん、その後のご活躍、仄聞はしておりました。ただ、近年、年末恒例の某々百貨店のポスターに語登場なさったお顔を拝見するたびに、己が腹部のせり上がりに目が言ってしまうのでありました。思えば貴女さまも我々も四十路近く…、いや、それは申し上げてはなりますまい。

先日、日比谷を歩いております時、宝塚劇場9月錦秋特別講演【化粧】の看板がふと、目に入りました。妹役に小川知子、竹下景子を従えて、祇園の芸妓、そして銀座のクラブのママ役でご主演とのこと。「女の倖せ、女の悲しみを描く文芸大作」と惹句(じゃっく)にはありました。

かって時折、ロマンスの噂が私どもの心にトゲを刺したこともございましたが、ご自身のお幸せはいかが?

このままますますお美しく、大女優の道を歩まれて、「第二の原節子」に、とイメージしたり致しますのは、ファン心理の身勝手さというものでございましょう、か。

ともあれ、久方ぶりに、舞台で咲き誇る見事な花を拝見したいと存じている次第でございます。

”元“コマキスト敬白 (輔)

 

多くのコマキスとの気持ちを代弁する形で書かれている。ユーモラスで哀感が漂う。

 

いわゆる大人からの支持、“スタニスラフスキーを生み、ボリショイやキエフバレエ団がありバレエリテラシーも高いであろうロシア人たちの間で今なお根強い人気を保っているということは、この国のコマキスとたちも”小巻深海魚”とい捉えていたといっていいだろう。

ちなみに“モスクワの恋人“といわれた小巻は税関フリーパスだったとかー。彼女の芸に取り汲む姿勢と美貌があいまって固体の中に昇華させて静かに放っているオーラ、(コミュニケーション用語でいうエトス)に惹かれているのであろう。モスクワ空港は私にとっては鬼門だったが何たる違いか-。

ロシア文化フェスティバル日本組織委員会副委員長などを務め文化交流のために30回以上日本とロシアの間を往復している殆ど国賓扱いの日本の大女優には逆立ちしても叶わないのはあたりまえかもしれない。

 

2 美という説得要素―アリストテレスのエトス

 

キーツの詩に「美しきものは永久の喜びである」(A thing of beauty is a joy for ever)という文言がある。同様に「美しき女(ひと)も、これまた喜びであり、とこしえの力である」といえるであろうー。傾世の美女ということばがあるが、だったら救世もありうるだろう。またクレオパトラの鼻が3センチ低かったなら世界の歴史は変わっていただろうというが、それを演じた海の向こうのエリザベス・テーラーと較べると、私は栗原クレオパトラの方に軍配を上げたい。

美は説得要素である。

コミュニケーション学の伝統がない我が国では、説得するための論理性を強調しすぎるきらいがあるが、それはあくまでもロゴス(論理)である。アリストテレスによれば説得コミュニケーションで人を動かす要素にはロゴス以外に、パトス(心理、情感に訴える方法)と、さらにエトスというものがある。エトスーそれは説得者発するオーラ、カリスマなどである。必ずしも美男。美女であるというのではない。ヒットラーやJ・ケネディーは美男とはいえないがエトスは強大であることからもわかる。しかし女性の場合、美が大きく働くのは認めざるを得ない。
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(「ヤングレディ―」1976.12.28

 

3『忍ぶ川』(1972):栗原だからこそ表現できた日本女性の美しさ、佇まい、恥じらい、可憐さ、はかなげさ

  『忍ぶ川』は“第44回芥川賞を受賞した三浦哲郎の自伝に近い小説の映画化で、栗原小巻の代表作のひとつといわれている映画である。
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(廣瀬裕敏氏ブログ『日本映画好き!』
忍ぶ川 モノクロの雪 2015.7.14  より)

 

監督は基本的には社会派監督の熊井啓。ストーリーは青森の資産家の大学生と小料理屋の仲居の恋物語、それぞれの過去を分かち合いながら相い寄る二つの魂、そしてごく自然に結ばれていく。そして生活が流れていくのだろう。そんな余韻がいい。

 

この作品にストーリーだけを求めるのは正しい観方といえない。求めるべきは二人がいる「世界」である。もっというならば、志乃という女性のいる世界なのである。深川木場、洲崎、浅草といった東京下町の夏と雪の青森が対比される、でも志乃がいる世界なのである

 

映画は全体が詩である。必ずしも最初から見なくてもいい気すらする。

ああ、あの馬橇(ばそり)の絵よ、あの音よ!それはどこでも聞くことができる。志乃にも聞こえる。この映画は、途中からみても同じ詩がきこえてくる。エンドレステープのようにゆるやかに時が流れても、途中から見ても何の違和感もない。だから心がやすらぐ。このまま静かに眠りたい。そんな気持にさせる。

この映画は墨絵である。どの部分をとってみても志乃のいる空間につながっている。雪が降り込めて動けなくなってもいい。その向こうに志乃がいるからである。日本にしかない世界に自分もいるからである。
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最初、監督が意図した吉永小百合とは、吉永の父がカラー作品を主張したこともあったそうである。廣瀬氏はいう。熊井はモノクロは譲れなかった。雪の白さは様々あることを、そしてそれはモノクロでこそ逆に強く描けることを、松本出身の熊井は知っていたと-。なるほど。

 

馬橇(ばそり)の音がいずこともなく聞こえてくる。志乃は「あたしみたいわ」

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初夜の寝所の窓から、小巻が毛布にくるまって深い雪道を走る馬橇を見下ろす。そして冬の海岸の海猫の舞う心象風景。
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永存(perpetuity)と拡散

 

女優・栗原小巻個人とこの映画そのものの両方についていえる最大のことそれはほかでもない。日本女性が持っていたといわれる佇まいと、恥じらいと“可憐ではかなげな容姿などと、まだ残っていた昔の東京や雪国の景色を互いが支え合うように、フィルムの中ではあるがきちんと残してくれたということである。皮肉なものだが、滅びゆく美しさを伝え方法までが滅びてしまっては困る。積極的に後世に伝えるべき形でしっかりと残されたことを喜びたい。(作品はその年の日本映画ベストワン賞や、文部科学大臣賞、栗原自身は毎日映画コンクールの女優演技賞、ゴールデンアロー賞等各賞を受賞している。)

作品として評価とは別に、この作品が、この時期に生まれたということの社会的な意義もはかりしれなく大きい。日本社会への「未来への伝言」すら読み取ることができるからである。経済的には高度成長期だが、これに反比例するかのように文化的には衰退期に入る。映画も斜陽に入る時代、アンカーとして登場した。そしてカラー全盛に抗うかのように白黒だから出せない世界を凝縮して象徴的に表した意義である。

後述するが、よくいわれる「つくりものだから価値がない」という考え方は、虚構で足枷がないからこそ真実と美の世界が描き出すことができるという側面を完全に忘れている。現実が心もとないこの時代に於いて、フィルムの中だけではしっかりと息づいていということは何事にも代えがたく貴重なのである。オリンピックが来るたびに失われていく東京もそうだ。が、何よりも、そして映画を見た人の殆どが異口同音に漏らす栗原小巻の志乃の美しさである。リメーク版もあったようだが、筋は伝えられても志乃はそう簡単にはできない。女は一日にして育たず。栗原小巻は一日にしてならず。彼女自身がそういう女性である。だからこそ放つ佇まいがある。

この作品に対する熱い思いを語ったサイトがある。しかし一方でハリウッドの大画面、大音響に慣れ、狂わされてしまった日本人の感性は食い足りないと受け止めるのだろうなと思わせるコメントもある。しかし、そう言う感覚が育ってきてしまっているからこそこの作品の意義がある。日本と日本人の感性が修復がきかなくなるほどマクドナルド化(MacDonalize)する前に、この作品を中心に、よき文化が閉じ込められている過去の名作を含めて日本人再生一貫プログラムとして教育の中に定着させるべきであるー。文科省も、拙速で有害な小学校の英語教育などやっている暇があったら、『忍ぶ川』などをじっくりと鑑賞させることこそが、どれほど子供たちにとって将来的に大切であるか改めて考えてもらいたい。この中では美しい自然もあれば、自然で、荘厳で、感動的な男女の結びつきもある。心を置き去りにした性教育を推進する御仁たちも、しっかりとこの映画を見て穢れた感性を浄化せよといいたい。

この際、下手な感想文ごっこなどさせない。金輪際、表現を焦らせると碌な子供が育たない。せいぜい意地悪な書き込みをする人間が育つのが関の山である。まずは、これはと言うものをただ黙って心に深くとどめ置かせる。その方が後々になって、どれほど地球社会で尊敬される日本人を作るのに役立つことであろうか。

対談―栗原小巻と荻昌弘

荻:毎日映画賞受賞おめでとうございました。どうですか。『忍ぶ川』をおつくりになったときに、今年の賞はこれだ、というような手応えみたいなものはあったでしょう。

栗原:いいえ、撮影に入る前からそういうことを、まわりの人がわりとおっしゃったのでね、これは乗っちゃいけないと思って…。ですから私はあまり意識していなかったんです。

荻:そうですか。でもでき上がったときには、野球で言えば、バットの真芯にあたったという感じがあるんじゃあないか、と思いますけども、作りあげたときはどうでした。

栗原:ただ作品に対する対してのまっすぐな、芸術的な見方ではなくて、どうじゃないところで、いろいろ話題になりすぎてたもんですから、あたしが、志乃に対して持ってる愛情とか、そういうものでなくて騒がれちゃって、いやな思いの方が強かった…。

荻:最初からそういうことは気になさいましたか。つまり、当然、あのシナリオに書かれたような表現をすれば、そういうことは話題になるだろう、特に栗原小巻のいままでのイメージが…。

栗原:そうなんです。あのご本、珠玉のような、ほんとうに宝石のような作品でしょう。これを画面にするのが、すごくいやだったんです。いやだったというよりも、ほんとうにそういう画面になるのかな、と思いました。

荻:あの小説を映画化すれば、当然、初夜のシーンは避けられないだろうと、それがいやだという意味だけじゃあないんですね。

栗原:そういうことだけじゃなくて、あの小説はドラマチックなもんじゃないでしょう。文字で読んで、イメージをふくらましていたほうがすばらしいって、なんかそういう気がしたんです。でも脚本(ほん)を抱えての期間が長かったということで、志乃に関しても、映画の『忍ぶ川』というものに対しても

抵抗なんて感じなくなっちゃってた。

荻:小説をお読みになった時に、志乃という女主人公が自分のイメージにぴったりだという風に考えませんでしたか?

栗原:いいえ、自分自身と重なるという感じは、あまりしなかった。小説だと小柄なんですよね。

荻:あの作品があれだけ多くの人の感動を呼んで、ヒットして、あなたも賞をおとりになるし、作品も賞をとるというような、大きな反響を呼び起こした

一番の理由は何だと思いますか。

栗原:テレビや芝居を見てくださる方で、映画館へ見に行こうという作品が少なくなっているのかもしれません、日本の映画を。それが、「ああ、行ってみようかな」と思ってくだすったのは、作品のもとの小説のすばらしさもあるし…。

:泥とか、ゴミとかの陰に、いわば隠されてしまってえいるようなもの、それをあの映画が見事に摘出した感じですね。あとで、あの作品がレコードになりましたね。劇映画一片がLPになるなんて例も日本じゃ初めてでしょうけれども、あのレコードを聴いて、僕はまた感心しなおしたんですよ。もちろん『忍ぶ川』というのは好い作品だなア、言葉のドラマとしても、非常にしっかりしているという印象を受けたんです。セリフだけでも明晰な日本語で、一つ一つのセリフがキチッとドラマになっていて、すっかり感心しましてね。

 

栗原:志乃は廓の中で生まれ育って、自分が働かなくちゃ、妹も弟もやってゆけない、それでも屈託がないというか、そんな感じが好きです。
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                        栗原さんと志乃に、非常に本質的な同質性があるためじゃないですか。

栗原:そうかしら。それからやっぱり相手の剛さん{相手役の加藤剛}で、でえきたのが、とてもよかったということじゃあないかなと思います。わたし、ホームドラマ的というか、つまり自分の地の感じでやってくださいというのは、一番ダメなんですよ、どっちかというと,強ォい女性とかね、ドラマチックなものとかそういうものに私は入りやすいんですよ。だから初めは、どうなるのかなァ、なんて思って、…、自分では。

荻:われわれ外から見ていると、あの志乃という女性を、栗原さんはもう正面から、演技としてクリエートなすってるという感じですよ。そして正面切った演じ方をするときに、一番役に対して手ごたえを感じるタイプの女優なんだな、ということを痛感したんだけれすけどね。 (後略)

(「サンデー毎日」1973.4.22)

 

文学は言葉の粋(すい)である。

すぐれた文学作品であればあるほど、その言葉、その表現、その組み立て、その語り手でなくては伝えにくい世界との厳密度は高い。だから小巻が三浦哲郎の原作に対して「珠玉のような、本当に宝石のような作品でしょう。これを画面にするのが、すごくいやだった」といっているのは、まっとうすぎるほどの感覚である。

誤解してならないのは、小説が表現されているものが表現しきれるだろうかという自信のなさではまったくないということである。表現形式が違えば、伝えようとする世界も少しは違ってくる。全く同じということはありえない。しかし、別に一致させる必要もない[M1] ことぐらいは小巻はわかっている。それどころか、原作より美しい志乃になってしまうかもしれないということもわかっていたかもしれない。ただ今度はマスコミや、一般は、それこそ原作とも、あるいは自分たちの意図とも関係のないところにスポットを当ててしまうだろうと、その意味で憂鬱さは最後まで残ったのだろう。女優だから、それが作品の要求していることならば肌を見せること自体にはそれほどのためらいはない。当初から演技者としての自分にではなくて、あくまでもそれをみる周囲の審美眼に自信が持てなかったのではないか。それでは作家、作品、そして愛すべき志乃に対しても失礼だなあという思いだったのではないか。

 

ともかく出来上がった映画『忍ぶ川』は日本の国土や人心が不気味な変化をし始めたころに、完成し早々にいぶし銀のような輝きを放った。これは丁度、原作が選び抜かれた表現であったと同じように、映画の方も加藤剛と栗原小巻という選び抜かれた役者があったればこそ創造された世界だった。それは今探そうと思ってもどこにも見当たらなくなってきた、あの慕わしい、恋しい世界、志乃と志乃のいる世界であった。

当初危惧された特定シーンに対する勘繰りも、悪意のものではまったくなく作品の生命部分に関する感想だけはほぼ一致していたのはまだまだ日本人の中にはまっとうな感性が残っていたようである。いずれにせよこの作品は日本文化の継承の為に天がこの女優に演じさせたような気すらする。

 

「小巻=志乃」ではないが永遠の命を与えた母として

 

『忍ぶ川』がここまで多くの人の感動を呼んだ理由の中には、多くの日本人の心の中に志乃に対する、さらにはあのような原形的な日本の風景の中に息づいている志乃に対する思慕のようなものがあったということは間違いのないことだろう。

対談の中で荻氏も小巻にきいている。

「志乃という女主人公が自分のイメージにぴったりだという風に考えませんでしたか?」これに対して小巻は「いいえ、自分自身と重なるという感じは、あまりしなかったです」と答えている。ところが、しばらくして荻氏は再び「栗原さんと志乃に、非常に本質的な同質性があるためじゃないですか」ときき、これに対しても小巻嬢は「そうかしら」といっているが、いなしたのか、共演者たちへの遠慮からかはわからないが、荻氏の立場からすれば、それほど良かったよというわけである。それは私も同じだ。

 

たしかに「小巻=志乃」ではない。成長していく役者にとっては自分が特定の登場人物と固定化されるような印象を抱かれるところに抵抗がある。事実、荻氏に対して小巻は「どっちかというと,強ォい女性とかね、ドラマチックなものとかそういうものに私は入りやすいんですよ」とっている。

もちろんそれでいい。それに仮に役者、栗原が志乃的なものだけを深め,完成させていきたいと思ったとしても、志乃と、志乃と類似の役ばかり演じていたら描かれる志乃自身も、それを演ずる小巻もどこか色あせたものになってしまったであろう。役者自身もいろいろな作品の色々な魂とのとの出会いをはたし、志乃にもあたかも生きているかのように接しなければならない。 

仲代達矢もツイッターで言っている。俳優座にいた頃、「失敗した作品はいつまでも覚えていてもいいけれど、成功した作品はすぐに忘れろ」と言われました。世阿弥もそう言ってるんですよね、「常に壊せ」と。成功作の後を追っていると、だんだん小さくなっていくと言うんです-。

 だから志乃を生かしながれさせるために「志乃」をいったん殺せということである。色々することが一つを深める。大相撲の稀勢の里がなかなか横綱になれなくて悩んでいた時に。狭い意味の相撲の稽古だけに絞って他のことから吸収する姿勢に欠けるということを白鵬が指摘していたのと同じことである。

 

栗原小巻も自己成長のためには、異なる作品に挑戦してきている。これは当然であるが、スタントマンや吹き替えに頼らずに役づくりをしようとしてきた。現代社会が要求するお決まりの役割分担を超えようとする―衣裳、それもれも自分のものばかりではない、それは共演者のそれも含めて、役作りの行ったと捉えているのだろう。それらが血となり肉となっている。だから志乃とて一夜にして出来たのではない。今後の志乃である

「忍ぶ川」を栗原小巻が演ずることになったということはもうその瞬間に、志乃は小巻の私有物ではなくなった。栗原小巻の魂と小巻のDNAが、原作の志乃に命を宿らせた。それは人が子供をもった瞬間から、その子供は社会の子として親としてできる限りのことをして育てる義務が派生するのに似ている。それは誰にいわれるというものではない、いわば自然との契約なようなものである。同じように、あの志乃が、今に続くものとして、美しい母が常に成長しながら、志乃をも今に生きる存在として命を与えられている存在として生き続けてきた。そういう積み重ねを経て醸し出すこの役者の姿勢が外国とのコミュニ-ションにおいて絶大なるエトスを保持することにつながっていっているということまで小巻があの当時からどこまで意識していたのかはわからない。

 

4 日ソ合作映画「モスクワわが愛」における小巻ジゼル

私は1971年にアメリカから戻ってきてバレエの市川せつ子と結婚し、数多くのバレエを見る生活になっていた。といってもドラマがとバレエは言語非言語コミュニケーションの違いだけのことで、むしろ両方の訓練や見方が擦り合わさるところに芸そのものばかりでなく、人間観,文化観もアウフーベン(止揚)させられるのだと息巻いていたし、妻の遺志を継いだドイツのバレエ団のプリマ近江奈央と演技論について議論を戦わすのは楽しみであってきた。

さて、そのバレエだが、世界バレエコンクールのために当方のバレエ団の踊り手や教師などがブルガリアのバルナに会していた。1974年の夏である。結果、松山バレエ団の森下洋子が金賞で、当方の中学生岩越千晴がジュニア―の部で世界3位になった。しかし、コマキストならおわかりだろうが1974年という年は、日ソ合作映画「モスクワわが愛」がつくられ、栗原小巻の名前が知られ、コマキスとが海を越えて生まれてくるきっかけとなった日本人にとっても記念すべき年でもあった。映画の中で2人の指導者がスラミフィ・メッセレル女史と共に実際の指導に携わっていたのが、ボリショイにこの人ありというアレクセイ・ワルラーモフである。栗原小巻は昨年2018の年11月のNHKあさイチで、「バレエに対する夢は、俳優になったことで映画の中で実現しました」と感慨深そうに話していたのを覚えている方も多かろう。

 

さて話しを元に戻してブルガリヤのバルナのバレエコンクールの期間中、私はこのワルラーモフ氏に出会った。氏は私に「コマキ、コマキ」といっていた。「コ」がきこえなくて「マキ、マキ」。私もロシア語はだめであったしワルラーモフ氏は英語を話さないこともあったばかりか、恥ずかしながら私自身が栗原小巻について、そういう映画が進行していたということも知らなかったー。ただ今にして思うのは、時期的に撮影が終わってはいるが公開以前だったためか、ワルラーモフ氏の何とか私に伝えたかった小巻ジゼルへの思いがあったようであると思う。

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1974
年 ブルガリヤ、バルナにおけるワルラーモフと筆者

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ブルガリヤにおけるワルラーモフ(中央)

 

このことはワルラーモフのブルガリヤでの当方のバレエ団の2人の生徒のうちで目を賭けた者には手厚く指導する。飛び入り指導パターンでよくわかった。

 

バレリーナか女優か?-相互補完のメカニズム

私のいいたかったのは、「モスクワわが愛」の中で、小巻の百合子を相手に展開するワルラーモフのあの指導は、 “ガチンコ”であるということである。実際は、踊りに関してはボリショイ団員の代役が立てられていて、その代役嬢も随分練習していたらしいが、その必要なし栗原小巻で行くとなったということである。

ワルラーモフも職人である。どの分野でもひとかどの職人だったらこれはお芝居だからといってたわむれに稽古はしない。それがプロの矜持である。しかも実際には映像に残されている量の何倍かの指導がされていたであろうということも間違いないだろう。でなければあの場面は撮れない。

 

映画の中のあの稽古の部分がやや長いというような記事があったが、これはバレエのことを知らないからだなと苦笑した。加えるに日本の男性社会の芸人=河原乞食の偏見がなかったとはいえない。

一方、外交官、作家の佐藤優氏は流石である。通常ルートでないルートで『モスクワわが愛』を見ている。そして池上彰氏との対談で自分は映画を見る時に、その資料的な意味について興味を持つといっていた。それにしても外国語が絡んでくるということだけで、億劫になってしまう日本人の外国語コンプレックスも、だからあまり出ないだろうと判断しプロモートもさしてしない体質が跋扈しているあたりはさすが日本の文化の後進性である。

今を盛りの日本の女優・栗原小巻がバレリーナとしてボリショイの最高の指導を受けているということと、こういう形でこの二人が映画の中で納まっているということはperpetuity(永存)という観点からも、日本とロシアの友好を象徴する貴重な証拠が残っているという意味でも大変なことなのである。

田中角栄首相がソ連を訪問した際、ボリショイからの招待を断ったという国柄である。後にも先にもボリショイの招待を断った国賓は、すっかり日本の評価が下がりかけたことがあったが、栗原小巻が彼女の形で今日までに挽回し、イメージアップに貢献してくれているということも忘れたくない。

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栗原小巻のジゼル 映画「モスクワわが愛」より
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1974
年 『モスクワわが愛』 栗原小巻へのワルラーモフの稽古

 



ロシア人も見たことのない美しい小巻ジゼルの原点

栗原小巻は東京バレエ学校でバレエを学んでいたが、何事でも真剣に取り汲めばそれはそれ以外のところで必ず生きるという例を見せてくれた。私の目には、すでに『二人の世界』の中の竹脇無我とのデート場面の動きの中に見た思いがしたが、『モスクァわが愛』の中では、まさにまごうかたなきバレエそのもの、古典の「ジゼル」においてであった。

 

結婚を目の前にして亡くなった娘たちは妖精<ウイリー)となり、夜中に森い込んできた男性を死ぬまで踊らせる。アルフレヒトを残して妖精に<ウイリー)なるジゼルを演ずる主人公百合子は広島の被爆者で白血病で死んでいく身である。ここに役者としての栗原小巻の共感力がフルに生かされ、小巻によって小巻自身と百合子とジゼルが重なる。出来上がった作品はもう栗原小巻でなくてはならない完成度を見せた。彼女が発する全体の″ジゼルネス“は、そうしたこれまでのすべてが統合されて生まれたものである。並みの踊り手、あるいは役者では出し切れない雰囲気である。

全幕は踊られていない、私は『ジゼル』『白鳥の湖』『瀕死の白鳥』などの共通したエンディングのバレエをいくつか見てきたが、見終わったあとの小巻ジゼルの感動性が断然に高い。なぜか。

 

突拍子もないように聞こえるかもしれえないが、私はそれは「志乃」が生きているからであるといいたい。『忍ぶ川』の志乃が育ってきているからである。あのはかなげな志乃が漂っているからである。ロシア人が見たことのない美しいジゼルと映ったのであろう。もちろん、そればかりではない。小巻の映画『愛と死』のテーマもこの役者の中で生き方としてつながり、ジゼルと百合子の思いと相乗効果を生み、あのラブシーンの激しさの動機づけになっている部分もあったかもしれない。縦割り思考、デジタル化した我々の心は、そういう見方を拒否するところがあるから、あえてそういいたい。

 

私は想像する。ワルラーモフ氏も、探し求めていたジゼルを栗原小巻の中に見て取ったのではないか。もともと彼は “滅びの美学や”ものの哀れを彼なりに理解できている指導者であった。彼はあの東京バレエ団で「かぐや姫」を構成、振付けている。多くのロシア人たちもいったいあの美しさはどこからくるものかと感嘆し、オーチンハラショ!を繰り返した。

 

197411月のソビエト映画祭の代表団団長として来日したミハイル・アレクサンドロワ氏いわく。「ソ連における栗原小巻の人気はものすごく、彼女の主演映画をまた撮ってほしいという声が非常に多かった」―。同氏は「ソ連における栗原さんを日本女性の代表者としてみています。従って、ソ連では日本女性はみんな栗原さんのようにチャーミンで、素晴らしいという印象をつよくしています」といっている。(1974.12.5「アサヒ芸能」)

小巻はこの後、日ソ合作作品としてロシア人作曲家と日本人ピアニストの恋愛を描いたセルゲイ・ソロビヨフ監督の『白夜の調べ』(1978),ポリオ(小児麻痺)から子供『未来への伝言』(1990)などに出演し、ロシアでの人気を不動のものにしていっていることはよく知られていることである。

 

最後にもうひとつ大切なこと、それは小巻はバレエばかりではない。吹き替えなしでロシア語で通しているということである。芸は身を助けるで、この外国語がこの後の文化交流に巨大なる力を発揮するわけでこのことは演劇訓練のところで改めて触れるとして、ここでは妖精<ウイリー)の内面に入らない表面的なジゼルになりやすいこの決断に際しての彼女の心だ。

小巻は、私の声が他の人の声だったら見に来てくれたお客さんががっかりするでしょうということをいっていた。小巻との対談で作家・遠藤周作が感嘆してつぶやいていた。「ガンバリストですね…」。その通りだ。愛を貫くためには頑張らなくてはいけないこともあるということですね、狐狸庵先生!

最後に、現代の日本女性たちにもいいたいことがある。深いところからくる説得力ということにもっと目を向けるようにしてもらいたいということだ。

 

 

5.色々な想像をかきたてるプラモデルー゛偉大なる悲劇“を溝口健二で―『滝の白糸』『雨月物語』と『近松物語』” 風に

 

料理人は好い素材をみたら腕が鳴る。てんぷらにしてみたい、さしみでたべてみたい、色々な料理法を考える。今や功成り名を遂げた大女優を食材扱いして申し訳ないが、栗原小巻は、どうやら色々な人の絵心、造詣心、創作欲、その他色々な心を掻き立ててくる素材であってきたようだ。

 

まず「週刊文春」の神吉拓郎氏―。

「素顔の彼女は、北国の美しい自然の中に置いてみたい感じがする。長い冬、目の覚めるような短い春と夏、そんな風土に合う肌合いに見えるチェホーフの隣あたりに住んでいたら格好だろう。(いや違うな、まるで彼女をわかっていない)と反論するやつがいる。めいめいがそれぞれ好き勝手なイメージを持って、頑として曲げないんだからやりきれない。」そして中には「プラモデル屋で、栗原小巻の組み立てキットなんて売り出さないだろうか。ドラキュラや、フランケンシュタインまであるのに」(1968.2.19『 週刊文春』)と結んでいる。

 

結局そういうことなのではないか。彼女の数々の舞台の中には「ルル」や「ピアフ」のような激しい女性もいる。小巻は熱心でしかも賢いから、いかなるものからも自分を関連づけてそれから学ぶ機会にすることは技術的にはできるだろうが、やはり製作者側にこの役者を使って表現したい欲が働いていないはずはない。同時に小巻の方も、自分の中に「淫乱の血がながれているのかしら」といったこともあるが、その血が騒ぐときに一致していなければ制作にかかることはないだろう。

前出の若山富三郎氏も任侠路線で使ってみたいという気持ちもあったのではないだろうか。

 

私は小巻の底知れぬ力と、演技力をみていると、「モスクワわが愛」の別ヴァージョンとしてスケールの大きい「悲劇」(つまりシエクスピアの四大悲劇のようなもの)がつくられていたらと想像してしまう。日ソ合作でいい。ただ日本側の監督が、「滝の白糸」、「雨月物語」「近松物語」の溝口健二。小津ではフレームが日本の風景でないとむつかしそうだし静的である。一方、溝口は日本的かもしれない。でもスクリーンを飛び越えてくる情念がある。だから日本とモスクワとか、今世とあの世という限界はいとも簡単に飛び越えることができるー。「ジゼル」のテーマもその後の演劇活動の中で追及している「愛と死」のまま。精霊となってからの青い光の中で踊るあの姿と、その世界に迷い込み、そこを逃れてはきたものの、別れてきたジゼルを思い一人墓に佇むアルブレヒト。その姿を見届けてジゼルは今度は本当に消えていくー。

「雨月物語」の中の浅茅ケ宿の幻想と重なる。死を配することによって愛の深さと悲しさを感じさせるところも同じだ。ギリシャ悲劇やシェイクスピアでは登場人物が命を落とす。見る方も、演じている方も魂の浄化<カタルシス>が伴う。

 

但し溝口は相当の奇人だから小巻相手でもどうなったかわからない。ただし、壮大といっても蜷川幸男が、時に見せた物量的な壮大さではない。小巻は蜷川で『マクベス』を演じているが、私の夢は蜷川「近松心中物語」ではない。溝口「近松物語」の情念の深さと激しさである。これに抑制を効かせて表現できる女優はあの時期、栗原小巻以外には思い当たらない。

 

私はもうずっと前から現実がどうの、コスパがどうのということは世の中を救う概念とは思わなくなっている。むしろ蝕んでいるとすら思っている。ある想像が誰かの頭の中でなされたということは、されなかったより、いつの日にかどこかで何かの意味がある形になるかもしれない期待がある。栗原小巻という女優は、作品を越えてそこまで色々感じさせるものを秘めていて、それも海外に多くのコマキスとを生んできた秘密の一つであることは間違いないだろう。

 

6.栗原小巻と中国,ロンドンやニューヨーク

コマキストはロシアばかりでなく中国にまで広がっていた。そして今なお強い支持があるときく。現地で栗原と同席した人の話から判断しても彼女が勘所が紹介されたときの桁外れの声援に驚くようである。

小巻は日本中国文化交流協会代表を務め各種の映画祭に『愛と死』(1971)『サンダカン八番娼館・望郷』(1974)『戦争と人間』(1970)誤晋監督がメガホンを握った中国映画『乳泉村の子』<原題:清涼寺鐘聲)(1992)等を見せながら、継続的、且つ心のレベルでの交流をはかっている。近年も一人芝居「松井須磨子」の中国公演を行っている。あわせて36回以上の回数を誇るとかー。

 

ロシア、中国ばかりではない。ハノイでは軍の士気高揚の為にプロマイドを兵士たちに配られていたなどという逸話もある。ベトナムでは”世界の最高の美人“といって、青少年の大半がプロマイドを財布に入れて持っていたそうである。『スリランカの愛と分かれ』(1976)、『戦争と青春』(1991)ではモントリオール世界映画祭エキュメニカル賞(1991)を受賞している。『NINAGAWA/マクベス』のレディ―・マクベス役ではロンドン、ニューヨーク等世界五都市で公演なども行っているからこれも海外へのコマキスと拡散につながっている。

 

栗原小巻の文化交流には政治性はまったくない。これは小巻の信条である。どこかでいっていた。政治というものは移ろいやすいが、文化芸術は不滅であるとー。愛は国境を越えて人々を結ぶ、それなくしては政治とて限界があるという考え方そのものである。

 

このことに関して私が想像するのだが、小巻がバレエを最初に習い始めたのがボリショイと提携のあった東京バレエ学校であったのではなくて、マーゴ・フォンティンを輩出している英国ローヤルバレエだったら、モイラ・シアラー主演の『赤い靴』などのようなバレエ映画に出演し、英国を拠点としても活躍していたかもしれない。つまり彼女はどの文化圏でなくてはいけないということはなかっただろう。小巻の孤高の魂は島国根性とはまったく無縁なものである。

だからこそ彼女は公の場で型どおりの挨拶をして終えるという口先外交を潔しとしなかった。あくまでも自分の生業としてきた映画、演劇をベースにおいて、誠意をもって人々に直接に語りかけるアプローチを取ってきたのだろう。

北京大学で講演をした時、『愛と死』の台本を教材として日本語を学んでいる日本学科の学生がいた。「驚きと喜びでいっぱいでした」と話していた。そういう形からでも自分の力が平和につながる。そういうことが小巻にとってはうれしい。大女優なのに女優然としないやさしい心の人なのである。

 

. 小巻の流したひとしずくの涙 (日本テレビおはよう!ニュースワイド』1978.6.15「週刊女性」1978.7.4

日本も戦後20年もたつと、どこの国の影響かやけに口八丁手八丁で元気はいいが、形而下的な思考しかできない評論家や運動家もどきが目立ち始めてくる。この手合いは底浅な質問をして馬脚をあらわしたりする。

何もわかっていなかった評論家・俵萌子 (「女性セブン」1974 7.17

俵:女優さんとして、もう一段大きくなるためには、身体を張って男の人と暮らしてみるのが必要だという風にかんがえませんか。

栗原…そうしないと、女優として大きくならないと考えるのは、私はまち  がいだと思います。                          

俵:でもね、泥にまみれて来ることもプラスになると思うんだけど…。    

栗原ええ、結果として、素晴らしい方と出会えればね…         

俵:そういう賭けもやらなければ、強いパイもない代わりに、飛躍もすくないと思うんだけれど。                          

栗原:…。                              

俵:要するに、私が言いたいことは、いつまでも可愛い小巻ちゃんじゃあな    くて、大人の小巻ちゃんになってほしいと。それには何かのきっかけがいるんじゃないかという気がするの。                    

栗原そうしないと飛躍しない、といったことが多すぎるから、ちょっと抵抗感を感じるんです。

小巻はマイルドにだが、あくまでも抵抗している。このあと返答に困った俵は「結婚はどうでもいいけど、子供は生むがいいと思うんだけれど、私は」などとのたまっている。だったらはじめからそういえばいいのである。しかも俵の公の立場は女権解放であるはずなのに矛盾している。なぜ、ここにきて結婚することが原点のような、きいたふうな説教を小巻に垂れるのか。       

それともう一点、俵の場合、無知からくる偏見がある。実生活で体験しなければ役者の芸は深まらないというのは素人が陥りやすい演劇に対する誤解である。もちろん実生活から役者が学べるものは多い。しかし観察とか類似体験をもとにイマジネーションを駆使したりすることでも、役者はどこまでも成長していくということは彼らの間では常識である。小巻のような感受性が鋭く、ひたむきな役者は実生活の足りない部分をあったとしても十分に克服し成長してきているので、俵の説教などはいらぬお世話である。だったら生涯独身だった田中絹代や原節子はどうだったか。

ともかくも形而下的な思考の人間にはなかなか分からない世界があるということである。またもうひとつ、これは俵萌子だけではなかったが、女性インタビューワーが小巻を相手にすると、無意識に対等になろうとするために相手が持っていないこと、気にしているところのものに触れる傾向がある。こういうふうに子宮でしか物を考えるということが出来ない手合いは困る。形而下的で、なおかつ生理的な反応しかできない人間は芸術家をインタビューする資格はない。

しかし小巻は女性である。演技に役立つだろうからなどという意味では栗原なく純粋に結婚だってしたい気落ちがなかったわけではない。これはいろいろなで聞かれるので答えているようであるが、仕事と家庭の両立を許してくれる男性はあらわれてこなかっただけと小巻は対談の終わりでは言っていた。         

しかしそのうちに、厳しい決断の方向に傾いていったようにも感ずる。

 

 

結婚か女優か?――現実は実存の砂漠なりー虚構の中にある真実を求め増幅させ、世の為人の為に捧げんとして栗原小巻

標題の「小巻の涙」は、俵との対談の4年後に、ジャーナリストのばばこういちが東京宝塚劇場の『マイ・フェア・レディ』に出演中の栗原小巻にインタビューしたときのものである。ばば氏はインタビューの中で、俵とは全く反対の立場からの意見を述べている。それも小巻の芸を深く思えばの質問と私は受け止めた。

ばば:大女優だし、仕事に生きる人だから結婚はしない方が好いと思いますが…。結婚したために、貴女のもっているもの(役者としての魅力)が半減するようながするのですが… 

 

栗原(遠くを見つめるように沈黙)今年で13年でしょう。<中略)両立できないような気がするの。                        

栗原:でも、…本当は結婚したいヮ 

 

ばば:だけど結婚すると虚実の生活になってしまうでしょう。そうなると女優としての生き方まで変わることになる。ちょっと寂しい気がしますね

 

栗原: 両立できたらすてきだろうなア。やっぱりダメでしょうね。内心の激しい感情の動きに揺さぶられるように、彼女は顔をあげたりうつむいたりする。そして左手で頬をぬぐった…

(日本テレビ『おはよう!ニュースワイド』1978,615、「週刊女性」1978,7,4

栗原小巻のこれまでの人生は、芝居を通してこの真実をひたすら求め続けようと生きてきた人生であった。しかし、このあたりになるとふと、普通の女性の気持ちが前に出てきていたのかもしれない。意中の人もいたのかもしれない。そんなときに俵との対談時には抗ってもみた「結婚」が前面に自然に出てきた。その矢先、弱気になっちゃいけないよとでも言わんばかりの、「結婚すると虚実の生活に」という強烈な逆説に出鼻をくじかれる形で結婚はふたたびしぼみかけてしまったのではないかー。

女としてどちらかと、決別しなければならなければならないというのはあまりに寂しい決断だ。でもやはりそうしなければならないのかー。そう思ったら気丈な小巻でもおもわずハラリと涙のひとつもこぼれてこよう。…そういう涙だったのではないか。誰が泣くなといえようか。雪之丞ではないが、流す涙がお芝居ならば、何の苦労もあるまいにである。

―とまあ、以上は私のこの時期の小巻の心に対する想像にしかすぎないが、大切なことは小巻の涙が真実であれば、その涙の中にこそ、海外にまでコマキスとが広がっていった秘密があるのではないかということである。涙など流す前に見切りをつける人はやめている。演劇活動を通して世界の人々に語りかけたいという強い気持ちの表れだからだ。泣きたくなるほど強かったからだ。

…亭主と子供を送り出し、後片付けがすんだら近くのファミレスに似た者同士が集合し、実に非本質的、形而下的なたわごとをしゃべりまくって、午後になったら子供を向いに行き、おやつを食べさせてから塾に送り出す…。人はこれを称して「現実」という。これに対して映画、演劇の世界をしょせんは「虚構」の世界などという。これは逆である!現実の方こそ虚構、しょせん「あらまほしき人間の姿に較べれば虚構である。現実の延長には明るい未来があるはずだというのは幻想に近い。

「現実は実存の砂漠である」。逆に「虚構」と誤解されてきている映画、演劇、文学、その他の芸術一般の中にこそ人間の心の「真実」がある! バーチャル・リアリティという概念もそれに近い。神の愛、人間同士の愛、男女の愛、西洋の美、東洋の美、日本の美、真実の姿を追い続けてきて、これからも追い求めていってこそ、やがてそのいくつかは現実化していくかもしれない。心は型を求めようとするからだ。政治や経済活動だけではどうにもならなかった国同士のいさかいなどをも克服しできる可能性があろうというものである。

ばば氏の「結婚すると虚実の世界になってしまうでしょう…」は鋭い指摘なのである。私の年来の主張でもある。さらりといっているが、小巻が紡ぎだす真実と美の世界、虚構でなければ描ききれない真実と彼女とその芸をこよなく愛しているからそういったのであろう。

 

登場人物に近づこうとする愛と誠実さが、役者を磨きコマキスト拡散に

ヴェデキント作の男から男に渡り歩く「ルル」や「愛の賛歌-ピアフ」はシャンソン歌手、エディット・ピラフの物語だが、なるほど「二人の世界」の麗子や[忍ぶ川」の志乃、あるいは昨年のあさイチでの小巻しか見ていない人なら卒倒するかもしれないかもしれないきわどい表現や動きや仕草が出てくる。しかし、大切なことは、演じようとする人物を全身で答えようとすることが、小巻の誠意、人間愛である。そういう人間理解を体を通して表現するからこそ、作品を飛び越えて聴衆は語りかけられた気がする。繰り返すが、役柄を理解しようとする熱意と、人々とわかりあいたいという気持ちはまったく同一エネルギーである。


小巻29才。ロケ先での出来事

…智恵遅れの少女を抱いて、母親が、休憩中の小巻に、おそるおそる近づいてくる。陽灼けした島の漁師の母と子。気づいた小巻は、体を向け、おのずと迎える姿勢になる。母親は涙を浮かべ、土地の言葉で、この子の手を握ってやってもらえないかと、訴える。

小巻は目を見開く。砂浜が眩しい。小巻スマイルに優しさが溢れる。両手で、少女の手をつつみこみ、うなずきかける。母親は何度も何度も頭を下げる。拝むようにして、去っていく。

よかった、よかったと、周囲の人々がその少女に声を掛ける。次には小巻を賞賛する。

「ああいうファンが、全国におられるんです。地方に行くと、素朴な、そういうファンに沢山お目にかかります。私は本当に力づけられて、励まされて、仕事に打ち込めるんです」。 (「 週刊現代」1974.9.5)

 

マザーテレサではない。栗原小巻の話である。役者する身と空飛ぶ鳥はどこのいずくで果てるやら、は西条八十の『旅役者の歌』の一節だが、芸人を「河原乞食」などと蔑んできた日本社会の中で、小巻はここでは殆ど神格化されている。彼女は海外ロケでもそのような話しは色々あったようである。この差はどこから来るものであろう。

思うにこれは小巻の生きる姿勢、人とかかわる姿勢が本物だからであろう。

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8コマキスト拡散に力:舞台に重点を置き直すことで得たもの―新劇界のプリンセス・演劇界の女王の地位と磨かれる役者としての実力 

 

栗原小巻が活動の場を舞台の方に移していった理由には色々考えられる。『八甲田山』(1977)における制作、脚本の橋本忍氏が、出演者が一丸となって過酷ともいえるロケを乗り越えることができたのは、まさにみな映画の危機を感じていたからであるといっていた。その危機感は神田大尉を演じた北大路欣也にも、その妻を演じた栗原小巻にも高倉健にもあったであろう。そして果たせるかな映画はこの後、さらに厳しい道を歩んでゆく。では映画のかわりに登場してきたテレビはというと、これとて本物を追及していくにはあまりにも問題を抱えすぎていた。

現に小巻はNHKの『国盗り物語』などの口が複数かかっていたが、『オセロ』のデズデモーナの芝居を優先したことがあった。シェイクスピアはピアニストにとってのショパンのようなもので、それ自体が教材であるという側面があり、これに取り組むことによって役者は多くのことを学ぶので、高みを目指す者にとってはマストである。

 

確かにテレビ、映画を通しての露出が減ることが、知名度に影響してくるので残念な面がないとはいえない。しかし役者としての成長を考えれば小巻の選択は当然であろう。仮に映画、テレビに出続けるにしても、“板を踏んでいる”(=演劇の舞台に出ている)役者がでているものは皆、発声、滑舌、プロジェクションが違う。小巻や仲代、中谷ら新劇役者から歌舞伎役者まででている『いのちぼうにふろう』(1971東宝)などを見れば一目瞭然である。

 

いずれにせよ小巻は、舞台に戻って行き、俳優座のプリンセス、演劇界の女王の道を歩むことになる。そしてこれにより新劇界のプリンセス・演劇界の女王の地位を獲得していくが、彼女にとっての最大の宝は、演劇というものの人を動かすとてつもない力を作品として発表してきたばかりではなく、固体内に内在化させていったのではないかということである。むつかしそうな言い方をしたが、結局こういうことである。藤山一郎が生前、作曲家といわれている人の多くはミュージックメーカーにしかすぎないが古関裕而は違う。メロディーが浮かぶと同時にフルオーケストラの楽譜を頭に浮かべている、あの先生のような人を作曲家というのですといっていた。同じえある。タレントまがいの役者が多い中で小巻こそ数少ない女優である。共演者も皆いなくなってしまって、セットも揃わない困難な状況が現れたとしても、一人芝居で意中の作品の全体を伝えることができる力を自分の内部に持っているはずである。これとあの小巻スマイルが健在で   あれば充分である。国の内外に大きな人間交流、文化交流の輪を作っていけるであろう


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ェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』 1979 俳優座

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 NINAGAWA マクベス 栗原小巻 平幹二朗 1980/2 日生劇場

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フランク・ヴェデキント『ルル』1977 俳優座

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フィードリッヒ・シラー 『メアリー・スチュアート 1983 俳優座

 



ドラマを通しての総合的訓練

演劇はそれ自体が目的であると同時に、演劇とそれにかかわる活動をすることで、限りなく色々なことを総合的に身につける側面がある。特に小巻のように、これと決めたならば徹底的にという精神と情緒構造の持ち主は副産物的に獲得するものは限りなく大きかっただろうと考えられる。文化交流活動もその延長であることをことはすでに述べた。


小巻と言語力(日本語、ロシア語、中国語)

栗原小巻は日本語だけでなく言語を習得するという過程の中で非常に意義のある人生を送ってきた。まず、きっかけである。東京バレエ学校でボリショイのメッセレル女史の教えを十二分に吸収するためにはということでロシア語を必死に学び始めている。ちょっとバレエ族とは違う。しかし力をさらに伸ばすきっかけとなったことはソ連との合作の話が持ちあがった時に、吹き替えでなく原語でいこうとしたことであった。

台本は日本で受け取っていた。ただ、我が国では外国語を生きたことばとして理解し表現する手ほどきが多少の手ほどでもできるトレーナーもメソッドも言語観も私の掴んでいる範囲でそういたとは思えない。ネイティブがいればいいという単純なものではない。そうこうしているうちに、小巻にとって大変な、しかし長い目で見たら本人の将来にとっては実は幸いなことが起こった。それは現地に行ってみると台本が変わっていたということである!

ここから推察できることは改変台本に伴う手ほどき、指導もいっさいがロシア語で行われたであろうということである。これは当節風にいえば耳からの「当該外国語のインプットがその外国語で」という相当苦しいがいい意味の外国語の洗礼を受けることになったであろうということである。しかしなんといっても最大の―そして栗原小巻を私が取り挙げる大きな着目点とかかかわることは、制作が開始されれば即刻に演技空間の中で、相手役とのからみあいをしながら意味を考え解釈を深める格闘することになるわけだが、これがドラマを通してならではの最も理想的な言葉の学習であって、以後の小巻のロシア語のみならず日本語、中国語力の学びの基礎になっていったであろうということである。

そして冒頭でも述べたが、私自身はまさにこの為にアメリカでドラマ・スピーチ学科に留学したようなものであった。以下、本の一コマにしかすぎないが、演技の課題で、チェコフの『桜の園』(The Cherry Orchard)の中の農奴ヤーモライの一人語りを選んだ。ロシア民謡の「トロイカ」を原語で挟みながら、聴衆に向けて直接語りかけるオフフォーカスで演じてみる。傍にいてくれる人が欲しい。演劇学科の花形のキャシーは、演劇界の小巻嬢のような女性で、男子学生から先生たちまで含めての密かに憧れる存在だった。私はこのキャッシーをラネーフスカヤ夫人になってもらって、ただ「僕と気持ちを共有しているということだけでアドリブ的に合わせてくれればいい」というぼんやりとした注文に留めておいて練習に入った。

予想していたようにキャシーの練習ごとに微妙に体の捻り具合、息遣いが微妙に違ってくる。そしてそれがまたこちらの出方を少しかえていく。一時の官能だ。キャシーと自分との間にケミストリーが働いていたことは誰にもわからない。青春であった。

さて、要は、その時の語り口調は時にオーニールの『氷人来る』、『欲望という名の電車』のスタンレーのセリフなどと撹拌され、実際の英語で話すときに連なって私の口から出てくるということである。帰国後、学生相手に詩、散文、ドラマ、スピーチなどの作品の練習をさせる時代がくるわけであるが、この間に私自身も吸収してしまうことになるので、私はこれまでの英語の表現法の総量はかなりのものになっていると思う。外国にどのくらい滞在したかということばかり聞かれるが、私の英語は中心は徹底した演劇や朗読訓練からつくりあげていったものである。

 

栗原小巻が仮に当初は演技と切り離してロシア語の基礎を学んでいたとしても、それが文脈を経て、相手を経て演技をしているうちに内在化させていったであろうことはほぼ間違いないと思わせるもう一つの理由は、折に触れて小巻の口から出てきた、コンスタンチン・スタニスラフスキーКонстантин Сергеевич Станиславскийの存在である。19世紀から20世紀にかけてロシア革命の前後を通して活動したロシア・ソ連の俳優であり演出家で彼によるステムはいわば演技を目指す者にとっての必読書で、これはオーラルインタープリテーションの言語観と同じである。ということは外国語習得の場合にも頭と心と体を通さずに学ぶことはありえないからである。

 

どこでの集会であったか、その動画はメモ書きのようなものを持ちながら聞き手と談笑を交えながら緩やかに話している小巻の姿をうつしていたが、これは即興、暗記、朗読が一緒になって語るエクステンポラニアス(アウトライン準備型)でもあり、台本を片手に役者が立稽古をしてテクストを体に馴染ませていく立稽古のプロセスとも重なるものであった。

大河ドラマも映画も、役者自信の人間的成長に貢献する。しかし舞台はどれにもまして総合芸術であり、ありとあらゆる訓練を展開できる場所である。


作品と人物に近づこうとする心と人に対する
共感度(Empathy

俳優は、役柄を掘り下げていくばかりか、最終的にそれを演じなければならない立場にいる。当然、書かれたテクストばかりでなく、その背後に間断なく流れるサブ・テクスト(せりふした)を読み取ろうとする。そのサブ・テクストとは、登場人物の心の線ばかりではない。それらの人物を紡いで一つの物語を作ろうとしている劇作家の思考と心の線(論理構造と感化構造)をも含む。小巻嬢は制作当初から参画し、安易に妥協しないという話はよくきくが、作品全体と人物に近づこうとする心がなせることであるのはいうまでもない。そしてその心が, 人に対する共感度(Empathy)を強化する。ロシアの監督氏が、舞台を離れての「栗原さんは情愛の深い人です」とさりげなくいっていたが、ということは、小巻の天性として持っている人間という存在に対する分け隔てのない関心と愛が、訓練の成果まで加わり益々研ぎ澄まされていったところがあると考えていいのではないかと思う。

 歌と 朗読「愛は蜃気楼のように」、日本人の心と品格「君死にたまふことなかれ」等は活動範囲の広がりというよりInterpretive Readingへの目ざめと深化、小巻の進化の証ととりたい

 

多くの舞台、映画、テレビに出演してきて最も脂の乗り切った30代から40代の境目あたり、小巻はふと我に返ってどんなことを考えたのだろうか。だいたい芸に深みを増せば増すほど、それに反比例して習熟を敬遠したりするのはこの時代に始ったことではない。そして多くの芸人は色々な道を選ぶ。いわれるところの「B層」支配の大衆社会にどう向きあうか。

歌と朗読の『愛は蜃気楼のように』は女優栗原小巻の進化の歴史の中で当然この時期辺りに来るべき仕事であったのだろう。

ただし、クラウンレコードから出ているこのアルバムは、想像するに栗原小巻と共演するというプロジェクトで楽士たちが張り切りすぎて、音と語りとを突き合わせて“侃侃諤諤のあのセッション”がどの程度あったのかどうか持てたかどうか。

というのは音楽と朗読との関係は対等ではない。朗読とは、SHOW(=見せる)のではなくSUGGEST(=暗示させる)もので、表現したい内容や世界を声や動きで聞き手が頭の中で浮かべさせるのを助けるものである。従って音楽がそれを邪魔してしまってはいけない。バンジョー、ギター(エレキはだめ)、笛などであくまで朗読者をアシストするという感じである。

単独のセリフ回しの時には、他の役者との異なる巧みさの方が目立っていた通常の小巻が、このシリーズで音楽を背にしたときに克服してきているはずの「句読点は音声の切れ目をあらわすものではない」が、やや甘くなり、句読点を飛び越えた意味かたまりを横隔膜のあおりで一気に押し出し、押し寄せるボリュームの上を行くような解釈をとることをして方が良かったと思うところがあった。

 

ところが23年後の2007年、「日本人の心と品格シリーズ」の中で、「そぞろごと」<与謝野晶子>君死にたまふことなかれ(与謝野晶子>「元始女性は太陽であった」<らいてふ>津田塾大学開校式式辞<津田梅子>「武士の娘」(抜粋)<杉本鉞子>が選ばれている。その他、向田邦子林芙美子などを読んでいる。これは日本の国語教育、コミュニケーション教育の中の資料として常備しておきたいものである。

個々の朗読評を述べる余裕はない。ただ一点だけ、ここがクリアされているというチェックポイントがある。それは同一作品内でなく、異なる作品間での、音調、遅速、高低、強弱である。訓練を受けていない読み手がよむと、作品がことなるところで弱さを露呈してしまう。どの作品を読んでも一様の朗読調になってしまう。特にスピードに変化をもたせられない。しかし、栗原小巻は、晶子が「君死に給うことなかれ」と津田梅子はどうだったか明らかに違っていた。スピードも「キーも変えられ」ていた。並みのインタープリテーターではない。

最後に朗読と日本でいわれているものは演劇の下位概念ではない。より上位に位置するもので言語や動きに意味は、それらの中に内在しているものではなく、あくまでも作家や役者が与えるものであるという言語パロール観に根差した訓練体系である。栗原小巻には、演劇と教育をつなぐものとしての朗読、さらには朗読劇の分野にアンテナを出し続けてもらいたい。常に進化するコマキの象徴としてである。ここでいう「朗読」はInterpretive  ReadingあるいはOral Interpretation,批評的味読である。それは①誰が、②だれにむかって、③いつ、④どこから、⑤どういう目的で、⑥どういう内容を、⑦どのような論理、あるいは感化構造にたくして、どのような非言語の連続で表現しているか、などの7つのポイントに照らし合わせながら、朗読者自らがそれに重ね合わせ、声に出したり体を動かして意味を静々と深めていくコミュニケ―ション的精読である。

読みはさらに深化し、「霊操」(Exercitia spiritualia)イエズス会の霊性修行の様相を呈してくるがあってもいい。

アメリカの劇作家ユージン・オーニールはこういっている。

「私のすべての戯曲には、表面上のテーマの背後に、大きなテーマが横たわっている。信仰を失い、進行に代わるものを求める人間によって発生する、現代の病弊がそれである。…単なる人間対人間の関係を描くことには興味がない。私を常に刺激するものは神と人間との関係以外のなにものでもないのだ。」するとオーニールを演ずる役者は浅い読みではどうにもとつまらない。

ルネッサンス・アートシアターは霊操を布教目的で実行しているが、布教にいかなければならないものでもない。たとえば小巻の『愛と死』である。語り手の武者小路実篤が何を狙ったのか、夏子のあまりに悲しい死はどうしても「神」を考えないとこのコミュニケーションンの方程式は成り立ちにくい。彼女を突如失った野々村の「生きている者は死んだ者に対してあまりにも無力だ」を言わせた武者小路実篤の声か。作家は夏子を奪ったのは神と考えているのか。だとすると、この悲劇は運命劇、性格劇、社会劇のうちの運命劇の様相を示している、云々と考えていくと霊操の素材としてとらえることができる。                          当節、読みは十分にしているなどと軽々しくいわれる。全く逆である。むしろ浅い。だから取り込みも貧弱になり表現までも甘くなっている。この教育受難の時代、あるいはコミュニケーション不全症候群の時代に栗原小巻は今後、演劇、リーディング、教育の方面から力を発揮してくれたらなんと心強いことだろう。

 

9.NHK大河ドラマ・ 民放歴史ドラマに出演した意味 1967『三姉妹』の雪と “コマキスト”の誕生/1970『樅の木は残った』のたよ(ハムレットのオフィリヤ)と『黄金の日々』の美緒

 

栗原小巻は 2017/11/17の「あさイチ」で「大河ドラマで私は育てられました」といっていた。あのように長期にわたるドラマ作成にかかわるということは、そこに草鞋を脱ぐということであり、その間に役者が「育てられ」るのは間違いないだろう。

ただ、すでに述べたように彼女はただディレクターのいうなりに従うタイプではない。俳優座時代から千田是也に対してもそれは同じであったという。
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この激しそうな表情を見よ!これ栗原小巻、俳優座研修生時代だ。

 

『女の戦いー会津そして京都』(1985/11/18テレビ朝日)の・新島八重)の役を巡って制作者側となかなか折りあえなかったのを見て共演の滝田栄がその「がんこ」ぶりに驚いたそうだ。逆に、滝田も人ごとですませてもらっては困るというものであるー。

樫山文枝も「栗原さんは演じるだけじゃあなく、舞台全体を把握した状態で演じている」といっていたが、そうしてみれば舞台衣装、それも自分の衣装だけでなく他人の物まで手掛けてしまうという話も、それも結局、解釈の表現の一端であるという意識があるからだろう。つまり小巻は、役者として自分の役だけに埋没しているのではなく、意味の流れの上から着替えるタイミングなどを考えて着替えやすいものへと発想して、そして自分で直しを入れてしまうという具合である。結局、劇作家目線、あるいはディレクター目線で作品台本をみているからであるという先刻らいの話になってくる。事実本当はそうでなくてはならない。

だから『三姉妹』が小巻の雪を得たことで、『樅の木は残った』小巻のたよを得たこと『新平家物語』が北条正子を、『黄金の日々』が美緒を得たこと、そして『おんな城主 直虎』が於大を得たことで全体がどうなったかという捉え方を見る方もしなくてはならない。

1967年『三姉妹』の雪 “コマキス”誕生したきっかけ
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(NHKテレビガイド)
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コマキスト誕生となった記念すべき作品といわれる大河ドラマ第一回出演作品である。

音に聞く鼓が滝を打ちみれば、川辺に咲きし白百合の花…

 

1970 年『樅の木は残った』の小巻のたよ
”あれは、原作にはない役だったんです。でも原田甲斐の青春時代を描くために、脚色の茂木蒼介さんがわざわざ創作されて…”(栗原小巻「週刊朝日」 1973.1.12

 

仙台藩の原田甲斐(平幹二朗)を巡って2つの愛が生れ消えていった。甲斐と彼の初恋の女性たよ(栗原小巻)、晩年の甲斐と彼が心を許した唯一の女性、宇乃(吉永小百合)。おたよと宇乃の接点はない。

吉永小百合が樅の木を抱く最後―これは涙が出る。宇乃の心に同感して流す涙である。一方、栗原小巻のおたよの最後は悲しみが深すぎて涙がでない。

甲斐とおたよの恋は、共に身分違いの恋である。それを超えようとして越えられず、おたよの方はついに彼女は精神を病んでしまう。そして命が絶たれてしまう。

自ら絶ったのではない。セリ取りに行って川辺で鹿に襲われて死んだのである。自らの死をしらない。これがいかにも哀れである

 

悲しみが深く涙がでない愛の話はそれまでにもいくつかあった。小巻主演のものでは、樅の木の一年あとに武者小路実篤の『愛と死』がある。野々村の夏子を失ったときの、どうしようもない悲しみと同種だ、おたよが忽然といなくなる悲しみと同じだ それが事後報告的にさらりと流されるときのやりきれさっといったらない。

 

 

ガラス越のキスシーンで有名になった昭和25年の今井正監督の『また逢う日まで』の岡田英次と久我美子の三郎と蛍子もそうであった。自分はもとより相手の死もしらない。出征に出かける男を駅に見送りに行く女。そこにどこに爆撃されて女は命を落とす。それを知らずに戦地に向かう列車に乗って男は旅立つ。その彼はどうなったか…と思わせるところで、画面が突如としてふたつの位牌が並ぶ場面になる。

おたよにしても夏子にしても、三郎と蛍子にしても、苦しみがない分だけ幸せだったといえるかもしれない。しかし、見る方にしてみれば、これはたまらない。重たく、重たくそして悲しい。樅の木の作品全体を通してみれば、主人公、甲斐の苦悩が、ハムレットとダブってしまう。そしておたよは、まさにオフィリアである。

それにしても小巻よ、君は先にも書いたが、作品の中でも「深海魚」だった。ニコニコ笑ってぱっと消えてしまったー。

 

 演出的にはどの箇所をとっても絵になっていた。『忍ぶ川』では白黒ならではならないほどの究極の表現であったが、ここではカラーが最大限に生かされている。のどかな自然の美しさが十分に生かされていた。『月』にみる悲しみとの対比を描くために積極的な意味をもった。

 構成的には前半はおたよのスピーチと感情表現、後半は言葉を失った彼女との無言劇の対比がいい。(この無言の仕草の中にバレエの影響が感じられる)。

 

 俗に「役になりきる」という。その是非について考えさせる機会を大河は役者に与えてきたであろうことは容易に想像できる。

仲代達也は死んでいく『ハムレット』を演じている時、それを抱きかかえる友人のホレーシオ役の平幹二朗の涙が口に流れ込んできたといっているが、いかに平が役に没入していたかがわかる。

しかし完全に「なりきって」しまったら、例えばおたよのように神経を病んでしまう役では役者としての仕事ができなくなってしまう(ありえないといわれそうだが実際にはある。ロシアの伝説的バレエダンサーのニジンスキーは、「牧神の午後」という出し物で、ラブシーンが真にせまりすぎて、舞台上に男性の体液を残してしていた掃除人が気がついたという逸話が残っている。ともかくも彼は最後は精神を病んでなくなっている。)

 

基本的に人物の心情を理解しつつ(乗客目線)、同時に外に出てそれを観察する河川敷目線をもつ。小巻氏のような役者は、それに加えるにディレクター、劇作家目線(運転者目線)も持とうとするはずである。自分の所だけできればいいという分業頭でだけは彼女はない。従って、スケールの大きいドラマになればなるほど、彼女の頭の中はいろいろな思いや感情が錯綜していたことだろうー。
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―甲斐の嫁はそなたではないか

―いいえ、私は嫁ではありません。もし嫁とおっしゃるならば私は若様の嫁ではない嫁です。伊達の殿さまが御傍のおそばのおなご衆をいくらもお持ちのように、私もそのおなごの一人です。

―違う!

―違うとおっしゃっても、いずれはそのようになります。たとえ若様がわしはいやだと
おっしゃっても、家だとか身分だとか若様の身をがんじがらめにしばってしまう…
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若様、侍という御身分、お捨てなされませ…。
 

思い切って、思い切って強いくいってしまった。当節はこんなことをいい終わって、さらに追い打ちをかけるように相手をきっと睨むような女性が多くなってしまったがたよは違う。とんでもないことをいってしまって、身も世もあらず泣きくずれてしまう。いじらしさがいっぱいである。男としては絶対に守ってやらなければならないと決意せざるをえない気持になるだろうー。

ここはそういう風にたよを解釈した小巻の名演技であろう。私が大好きな流れである。

甲斐は家に戻ってたよのことを切り出す間もなく、母は察知していた。
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―お願いがございます

―そなたにたとえどのような事情があろうとも、原田の家の子として筋道の立った婚所をあげるのはあたりまえのことです。

おたよの父、与五兵が書いた甲斐からの偽の縁切り状を受け取った彼女はショックで気が触れていく。甲斐が訪れ、呼びかけたが、おたよは答えなかった。彼女はもう愛しい相手の顔もさえ見分けることができなかった。

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おたよを馬に乗せてあおねの温泉に手綱を引いたのは月の明るい夜だった。
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そこには生き生きとした自然のすべてのものがあった。 花や小鳥や青い空、もしもおたよが狂ってさえいなければ…しかしおたよは彼女と同じように無心に動くものだけを愛した。
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――そもそも心というもの、正気と狂気は紙一重でのー。ワシもきちがいの仲間かもしれません。

――いえ、お言葉を返すようですが、そのような冗談ごとではなく…

――いや、いやこれは冗談ではありません。わしのいうのは、たとえ狂うていても本人の幸不幸は自ずからまたそれとは別のことじゃというていますのじゃ

―――ではおたよは今のままのほうがいいとおおせられますかー

――そこもとに直してやりたい気があるのなら一生この人と連れ添うておやりなされ。女人はたった一人の男を恋い慕う、男もそれにこたえてやりなされ、さすればこの人の心にも平安がもどりましょうに

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寒ぜりを食べたいという父親のために川岸に取りに行ったおたよを

大きな角を持った鹿がおそってきて、おたよは命を落とす。


『ハムレット』のオフィリアが気が触れて川辺で死んでいくのに似ている。
それにしても人生うたかた・・・『樅の木で』で甲斐と悲しい別れを演じたのが栗原小巻ならば、その甲斐を送ったのが吉永小百合である。しかし、その甲斐を演じた平幹二朗の弔辞を読んだ栗原小巻であった。その心情はどうだったのか、虚実皮膜。ドラマと現実に間を縫ってどのような真実が流れているのか、知らぬが花なのかもしれない。



1978
年 大河ドラマ「黄金の日々」の美緒
助佐(市川染五郎・現・松本白
)と

冒険あり、夢あり、ロマンありで、現代人に受ける要素がすべてそろっているような大河ドラマであった。

美緒の年齢は、むしろ雪やおたよに近いのだろう。栗原小巻の実年齢が雪からは10年、おたよからも8年たっている間に、今風な言い方で小巻はフェロモン全開といった感じになっていた。もちろん押さえている、それがこぼれてきてしまう感じである。だがチラリと出るこの年上感覚が、いやみなく、むしろ母が子をいたわる雰囲気さえ漂わせていてとてもいい。特に、フィリッピンの島を急に襲ったスコールの場面だ。激しい雷鳴に航海の悪夢が甦ってくるのだろう。声を出し手おびえる助佐をなだめるように美緒が抱きしめる場面である。この場面があるから、最後のラブシーンはもう一歩踏み込んでもいいようにも思えたが、圧倒的に美しい夕陽が二人の情熱を代弁してくれたからあれでよかったのだろう。
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10. 於大の方の感動的演技―於大とお江与を同期(シンクロ)させる!!小巻の感性か?

1970年日本テレビ『竹千代と母』小巻20歳の母と竹千代/1983関西テレビ『大奥』、の小巻38歳の母(お江与)と竹千代/2017NHK大河ドラマ【直虎】、小巻72歳の於大(母)と竹千代を 貫く役者・小巻の心

有働由美子アナのトンチンカンな質問!

あさイチで、有働由美子氏が栗原小巻をゲストに呼んだことは張本勲式にいえばあっぱれ!であったと思う。しかしそのあと耳を疑うようなことばをゲストに発していたのは喝!である。

 

「…どうですか、この…お話をしたりするというのは得意,不得意ですか?」

 

何を言っているのか由美子さん、あさイチだからといって、あさっぱらからトンチンカンなことをいってもらっては困るね[M1] いうのが私の反応だった。まあ、意外性が有働のいいところでもあったのだが、不見識からくる質問の類は、情けないし、今回は言葉の訓練をしてきた専門家に対して失礼きわまりない。

これはイチロー氏に向かって、「どうですかバットをふるなんて、お得意ですか」ときくようなものである。流石の小巻、なんといっていいのかわからずに口ごもっていた。

だいたい、<こういうことをすれば、こういうこともできるはずだ>という物事の因果関係で捉えきれず、<これはこれ、あれはあれ>というのは近世になって人類が縦割り思考、デジタルゾンビ化していることの象徴である。

だいたいアナウンサーの訓練が情報伝達型のコミュニケーションの練習ばかりで、句読点が音声の切れ目と考える言語ラング観からNHKのスピーチ訓練は抜け出ていないようである。

 

しゃべりは有働さんより、小巻の方がはるか上である。栗原小巻はプロである。あさイチでのトークもどきでドギマギするはずもない。小巻はモスクワではロシア語でレポーターの経験もあったという。演劇訓練というのは役者のものだけという考えは日本の学校の言語教育の宿痾であるが、実際は演劇の場は言葉を変えた総合的言語訓練である。いやコミュニケーションの総合訓練の場である。私は栗原小巻担当の総合日本語の講座を提案するものである。

演劇は単なる表現ではない。役者は、台本があれば台本を、原作があれば原作をオーラルインタープリト(音声解釈表現)している。名称はどうであろうと実質としてである。

栗原小巻は彼女の多くの芝居の共演者であった平幹二朗の葬儀の弔辞で、平の舞台にはスタニスラフスキーの「感動の瞬間」があったといっていた。このことからも小巻が、まさに全体を線で捉えてきたことがわかる。山登りの計画を立てる人間は、どこが頂上で、どこが谷かはわかっている。感動の中で発した言葉は、聴衆を打っていたかどうかは内からも外からも捉えていただろう。しかし小巻は作品に内在する山場、プラス、実際の聴衆を前にして演じる中で、聴衆と一体になった、まさにその時のことを指していたのかもしれない。両方が一致するとは限らないことも重々わかっているはずだ。つまり1980年2月〇日の日生劇場での栗原の『NINAGAWAマクベス』の時のその瞬間が、さいたま芸術劇場だったとしたら同じところに来たかどうかはわからない、ということはわかっているプロである。観客は生きている。感動の瞬間は一合一会、予測がつかない面もあるーということなどは彼女は十分にわかっていただろう。

 

一方、有働由美子はあさイチを一本の芝居として捉え、あそこでクリスマスツリーのニュースを放り込むことによって、感動の瞬間が訪れたか、白けの瞬間はなかった、盛り上がりを押さえてしまってなかったか、意味が分断されなかったかどうかと考えたのだろうか。

 

於大の方と竹千代を例にとって

昨年の大河の「直虎」について阿部サダヲがリハ中の衣装を着て現れる栗原御大の立ち振る舞いについて感銘を受けている。立てば芍薬、座ればボタン、歩く姿はユリの花か、年は召されても歩くカリスマだったのだろう。

 

直後の記事は栗原の様子をこう伝えていた。

徳川家康の母親を演じている『直虎』でも、栗原の存在感は際立っている。 『おんな城主 直虎』の番宣も兼ねての出演でしたが、喋りも落ち着き払って言葉遣いも綺麗。』お歳は召されても『美貌と気品は昔と変わらず、昭和の大女優の雰囲気が漂う」(放送記者)「立ち姿も凜々しく、重厚感のある演技はさすが。画面がキリッと締まる。

こういうと、演劇活動が日常を高めるという教育環境がない我が国では、これが舞台の周辺だけのことと考えられがちである。が、そうではない。あさイチのスタジオに現れた栗原小巻の、家康への進言するシーンの毅然とした態度とはうってかわってのやさしさと、しとやかさ、あふれる品、しっかりした日本語と発声は一本線であり、長い訓練が終えたところに自分自身の物として蓄積されている解約価値(サレンダーバリュー)としてエトス化されているものでいろいろ調節できるものであろう。久しぶりに多くの聴視者が感銘を受けたのはそれだったのである。

直虎といっても、直近のものだけではない巡らせることが必要である。

有働アナがマイクを向けてこうきいた。

栗原さんの方からみなさんに聞かれたいことは」―。小巻は「皆様がお母様から影響を受けたこと、伝えられたことなどをお聞きできればと思います。私自身が母から沢山のことを学んだり伝えられたように…」(洋服づくりなどの)技術、ミシンなどの物があると答えていた。

これをどう捉えるか。<栗原小巻はよき日本人である。文化を継承して自らを高め、高められた自分で世界に発信していく良き日本人である>と捉えるのも正しいだろう。が、彼女はもっと深いレベル、たとえばさいたま劇場でxx日の、田中裕子マクベス夫人時にそもそもそういう瞬間があったのかどうかの、ということもありうることはわかっているであろう。

家康への進言シーンを「どういう気持ちで臨まれましたか」という質問と繋ぎを持たせるとよくわかるー。

…断腸の思いで息子に決断を迫った苦しい戦国の母を本当に理解していて演じました。だからテレビをご覧の皆さん(聴視者)も、私も母から色々受け継いできたように、皆さんのお母さんから皆さんに伝えられようとされたことに、真剣に耳を傾けてくださり、今度は皆さんが皆さんのお子さんやお孫さんに伝えて行ってくださいね

いやそればかりではない。小巻曰く「私ね、以前にも於大を幼い竹千代の母を演じたたことがあったんですよ」

有働由美子は、ただ「ああそうですか」―。

ひとりの役者の生き方を点で捉えることなどはできない。直虎の感動もかかわってくるし、有働自身が「どういう気持ちで」と問うているのだから近視眼的な観方をすることはできないだろう。登場人物の魂の遍歴を、辿ってきたかから皆さんに喜んでもらえる演技ができたのだと思いますと小巻の心を代弁して私はいいたい。


1970年小巻25歳の「母と竹千代」

弱肉強食の戦国時代、幼くして人質になった徳川家康の幼年時代と母の運命はいかにー。
一回目の於大は、母とはいえ25才、姉と弟のような雰囲気があったときく。
それはともかくも、鋭い役者であるからもうこの時点で“母”の何がしかは〝入った“とみていい。

そして昨年の『直虎』かというと、私の頭の中ではもう一回ある。


1983年関西テレビ、小巻38歳の「母と竹千代」(大奥)、於大ではなくお江与だが心は同じでは…

この頃の栗原は、30代後半から40代にかけて訓練された俳優や歌手はピークを向えるといわれるように、油が乗り切っているのを感ずる。舞台訓練からできてきた発声、共鳴(sonority,resonance)、滑舌、プロジェクション、調音(articulation,そしてめりはり(vocal variety-特に音調、音程、音量、速度の変化、それに非言語表現が高められている。

小巻の役は秀忠の正妻で大奥のお江与である。大きな不始末をしてしまった竹千代に対して、鞭打ち20回の仕置きを課す。だが竹千代は過ちを認めようとしない。

 

彼には徳川の跡継ぎは自分であるとの信念がある。「なぜあやまらぬのじゃ…」といいながら、耐え抜いた竹千代に対する驚きと賞賛―。

大奥として自らに課した役目の厳しさに対する思いと、湧き上がってくる彼に対するいとおしさとの葛藤を経て、母のやさしい表情に微妙に変化していくところがいい。

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まさに小巻の実年齢に近い40代ぐらいの母の目である。この時の小巻の表情を思い出すと、このあたりでも役者の心はお江与を通しても「戦国時代の母であることの辛さ」などは経験されていたであろうことが十分に感じられる。
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その夜、寝やの竹千代の様子うかがいに来るお江与の姿があった。

 

そして翌日、秀忠に提言する。

「…弁天丸は竹千代に渡すのがふさわしいのじゃあないでしょうか。一晩、考えて…、考えて…、それでもまだ迷って、でもやっぱり竹千代に…」

このセリフは解釈がいろいろ考えられるが、なるほどという所に落ちついていた。

ちなみに「あれは家康の母、於大ではないではないか」という役所的発想のコメントはききたくない。そんなことはどうでいい。機能として、心として「竹千代を思う母」であったからこの場合それで十分なのである。しかもこのお江与についての当時の小巻は、「女として共鳴できる役…」(「週刊女性」1983)といっている。これだけで小巻の感性と訓練の下地があれば、於大とお江与を「同期(シンクロ)」することはできるし、そうしているはずである。つまり「小巻演ずる母と竹千代」は気持ちの上で、抵抗なく小巻の体の中で、25歳時の於大と38歳時のお江与、そして72歳時の於大と一本線でつなげることができるということである。

こういう考え方はひょっとすると(いや、ひょっとしなくとも)史実を暗記することが歴史であるという教育を受けてきた現代の日本人には受け入れにくいことはわかっている。しかし、そんな意識しかもてないとなると、人間はAIに追い抜かれる時代の到来を確実に早めることになる。ピカソの絵をみて「顔が歪んでいるではないか」といちゃもんをつけるようなものである。その時にはピカソの心と頭脳にはモデルの女性はそう映ったのでそれが真実であり、そしてそれが絵画の、いや芸術の芸術たるゆえんである。

 

2017年小巻72歳の「母と竹千代」
小巻はすくなくとも3期に渡る成長の過程における様々なことを思いだし、その凝縮されたものが出て、「最後の竹千代!」になっていったと思いたい。今回多くの聴視者が涙を拭ったのは「当然と言えば当然すぎる」。女優栗原小巻の50年余の成長過程とダブる値千金の「竹千代…」だったからである。
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2017  直虎 於大の方(家康の母)

 

小巻はある雑誌の記者の「山場はどこですか、名場面はどこですか」という質問に対して気色ばんで答えていたことがあった。

「どこも名場面です。全体が線でつながっています」と。当然である。山場を求めようとする心とは、それだけ見たら残りは捨てましょうという感覚につながる。今回は一つの作品内のことどころではなく、3時期の母と息子の心としてつながりうる。小巻嬢の心の中に誰が仕切りをつくることが出来ようか。

これが私が推測する小巻流、いや演劇という総合コミュニケーション訓練である。しかも人物や作家への共感を本当に全うするためには、「於大様、私は番組が終わればあなたの体を離れていますが、あなたの苦しかったであろうお気持ちを受けついで、今の多くの人々に今の言葉で伝えてまいります」といいたかったのだろうと思う。

 

11.最後に美しく年齢を重ねて戻ってきた「志乃」は忍土の闇を照らす東洋の真珠『あさイチ』に見た世界発信の原点の姿

 

しかし忘れてはならないことがあった。時代である。高度成長期に反比例して、それこそつるべ落としの秋の日のごとく文化的衰退の時代に我々は落ち込んでいく。栗原小巻が最盛期を迎えなければならなかった時代はそんな時代であった。たとえば『忍ぶ川』以降彼女を使い切れる監督はどのくらいいただろうか。小巻は実力があるから何でもこなしてしまってきたが、十分に生かされてきたとは思えないというのは間違っているだろうか。

 

 

白鳥(しらとり)は悲しからずや、空の青、水の青にも染まず漂う

 

文字通り最後の演劇人グループとして一生懸命に自らの芸、生業を通して人と人との融和をはかることに全力をつくしてきた栗原小巻は、コミュニケーションとは名ばかりで空疎な響きがする、人間性を喪失してきた現代人に標識灯としての光を放ってきた。

コマキスト、サユリストの頃のまばゆい光ぼうを放っていた時代が去った後、それでもなおついている光、常夜灯のような光についぞ多くの日本人は気が付かなかいできたのではないだろうか。

 

真珠は光の反射によって干渉色が生まれる。そしてその光沢は「巻き」に関係するという。「まき」とは真珠層の厚さのことである。何という偶然か。

栗原小巻は忍土の闇を照らすべく、この大変な時代を選んで、それがまさに本名である独自の「まき」をもって、表面だけの光沢ではなく、奥の方から深みのある輝き、独特のやわらかい光を放ってきた。東洋の真珠という表現はこれまで複数の人に対して使われてきている。しかしこの人こそが東洋の真珠にもっともふさわしい気がする。

 

 


12.
現実と虚構の狭間(虚実皮膜)に漂い「真実と美」を探し求めフォルム化させてきた女優・栗原小巻は、生ける文化であり継承者でもあるー。

虚構の世界の中だからこそ現れる真実と美の世界について最後に改めて触れてみたい。

真実とか美というものは、現実生活を送りながら我々が意識する機会はあまりない。地味な日常が送れることが大切であるような言い方がされる。日常生活が大切であることはあたりまえであるが、しかしはっきりいえることはそれだけでは、その先に、壊滅的に素晴らしい精神的な満足感に満ちた生活の到来は望めない。現実は実存の砂漠ともいうくらいだからである。

しかしここに虚構性を入れると、それが刺激となって、隠れていた自分の奥底の心や真実が意識されたりする。役者も含めて芸術家もこの辺りの感覚的に理解している。観客側もそれなりに感ずる。十分に把握していると思っていた我が子の学芸会の芝居を見て意外な発見するのに似ている。役者の中に意外な発見があるからこそ、人は毎回観劇にいくところがある。


  もちろん地味な現実生活の中で悟りに到達することもあろう。でもそれはだいたいにおいて、この現実と虚構の狭間に身を置くことを知ってしまった者が経験する強烈さには及ばない。いや、どちらかの位相に我と我が身を定着させるのではない。だいたい虚構性の中だけに人は身を置くことはできない。
 
  そうではなく現実世界と虚構の世界を足しげく往復することによって,あるときには現実の中に、ある時には虚構の中に真実や美を 見つけることができるし、鋭い芸術家だったら、この間には個人的に限りなく豊かになっていけるし、同時に外に対しては、単に束の間の感動や場合によっては真実や美の世界を垣間見せることが出来るばかりか、作品として後世に残したりできる。

 

仏師の故・西村公朝は生前こういっていた。何もないところに新しい仏を掘っていくのではない。既に存在する仏を掘り起こしていくのだとー。       

カオスの空間にはなにもない。志乃らしさが、ジゼルらしさが、特定の個体の中だけのではなく因子のように、他の無数の文化のかけらのようなものと共に浮遊している空間があるのみである。空間といっても空間とは限らず多くの場合は人々の意識の中に断片的に存在している程度のものであるから、その人がいなくなってしまったら因子はさらに回収不可能なところにいってしまう。

そうした空間の中から芸術家が作家が、そして栗原小巻のような感性と熱い心をもった俳優が、熱い息を吹きかけるように魂を注ぎ込むことによって文化の破片がいわば受肉していき、色々な美しさや真実を作品になっていく。つまりフォルム化する。それは当然現実とはちがう。つまり日常生活のような姿形をしていない。それは巨悪

であったりするほとんど絶滅危惧種のような大和撫子であるかもしれない。いずれにしろ多くの場合作り手の意図と存在理由がある。そして全体として人を動かす力は強い。演劇や芸術のすごさである。

  それは五感で感じられるものとは限らない。現実の中では叶えられない真や美の実現された世界で、人が限りなく目指したいものであったり、反対に根絶したい悪の権化であるもので確実に存在すると確信させるものであったりする。

 

栗原小巻は、口先だけで愛や平和を説いたのではない。彼女は、我と我が身と、そして自分が生涯をかけてきて演劇活動のダブルの手段で虚ならではの真実と美を訴え続けてきたわけである。それは人間賛歌である、愛の賛歌である。

 

 

13. 熱き心には熱き心で…小巻は何を思ってこれらの作品を選んだのだろうか、その心を探りながら、自分だったらどう動くか考えよう(霊操のすすめ)。同時にアーカイブの更なる充実を! 

 

しかし私は栗原小巻の話をここで終わりにしたくはない。我々一般の日本人、ひとりひとりが何ができるかを考えるところまでどうしても持って行きたい。 

まずもうそろそろ演劇(あるいはいわゆる芸術すべて)は、いっとき楽をあたえてくれさえすればそれでいいという刹那性から日本人は脱さなくてはならないという考えを私は持っている。特に人工知能に存在が脅かされるかもしれない時代が来るかもしれないと取り沙汰されている今日、そして地球規模のコミュニケーション力をどう獲得するかの議論がかまびすしき折に、栗原小巻的な生き方、学び方が一つの発信者のスタンスとして見習いたい。

そこで二部に分かれるちょっとして行(ぎょう)にお付きい願うとしよう。

まず下の名前を見ていただこう。

…敬子(三人家族)、麗子(二人の世界)、夏子1971愛と死)、おみつ1971いのちぼうにふろう)百合子、ジゼル(モスクワわが愛)、悠子(白夜の調べ)春子先生(新・男はつらいよ)志乃(忍ぶ川)(三姉妹)、たよ(樅の木は残った)、政子(新・平家物語)美緒(黄金の日々)、細川ガラシャ ジュリエット(ロメオとジュリエット)、ブランチ(欲望という名の電車)、イリーナ(三人姉妹)リュボブ(=ラネフスカヤ夫人『桜の園』)、イライザ、マクベス夫人、スカーレットオハラ、須磨子(松井須磨子)八重子 エディット(ピアフ)真知子(男はつらいよ-柴又より愛を込めて)於大(竹千代と母)お江与1983大奥)於大2017おんな城主 直虎)…。

そう、ご存じの栗原小巻が、身体を通して生きてきた女性たちの名前の一部である。中には命を落としていった悲しい魂も沢山いる。

 

これに対して以下のことをしてみる。

1)登場人物一人一人に語りかけてみる。語り手は我々自身であってもいい、自分が思い入れができる役柄の勢いを借りながらでもいい。そして登場人物のなかに、どの程度入りこんでいるか、その小巻に語りかけていく。

時には囁くときもあれば、絶叫するときもありそうである。私だったらオセロの心とセリフでおたよに叫ぶことができる。ただし英語だがー。みなそれぞれの思いがあるだろうからそれでやってみる。役と役の間は空白ではない。小巻という人間の生は続いている。彼女の長い心の旅路に寄り添うように役への語り掛けから継続して語りかけてみるのである。それはテレビの前で弛緩した体を横たえてサッカーを見ている肉体に喝を入れるのである。

小巻はどこかでこう語っていた。
「今まで後悔した役などありません。どれもが大切で、それなりに思い出があります」という趣旨のことをー。

当然であろう。それが役の人物に対する彼女の愛であり誠意なのだからー。子供が10人いるからその中の一番かわいいものを選べといわれて選べることはできない。まさに、…何人もみまかりゆくも、これに似てみずからをそぐにひとし/そはわれもまた人類の一部なれば/故に問うなかれ誰がために鐘はなるやと/そは汝がために鳴るなればなり、である

チャップリンの「独裁者」という映画は、ヒットラ―に間違えられ壇上に立つ羽目になったユダヤ人の床屋のチャーリーが次第に高調していき、結局世界平和を訴えるあの有名な7分間演説になっていく話であった。しかし、それは単なる芝居ではない。まさにチャップリン本人の映画観客の、世界中の人々に訴えている姿そのものであるー。この映画の中のチャップリンのスタンスを小巻はとっている。小巻が演じてきた女性たちは役をはみ出して訴えかけてくるような感じがするのはそういうわけであろう。

2)役への語りかけを終えたら、役を演じ終えた女優・栗原小巻の語りかけに移行してみる。場面の昂まりのまま、登場人物の立ち位置を保持したまま語ってみる。

ふるさとの 小野の木立に 笛の音の. うるむ月夜や. 少女子(おとめご)は あつきこころに. そをば(そをば そをば)聞き. 涙流しき. 十年経(すぎ)ぬ 同じ心に 君泣くや.

三木露風の「ふるさとの」である。上の練習はこの「同じ心に共に泣く」訓練である。

3)最後は、いったい栗原小巻が目指していたところのものは何かなどに思いを馳せてみる。そしてさらには自分だったらどういう行動を取っていくであろうかなどをみたい.クイズではない。答えはないのだこの道行は…。だからこのてのことには今の多くの日本人はあまり意味を感じない。だからするのである。

インタープリティブリーディングまでは、テキスト内のエビデンス(internal evidence)をもとにした精読であるが、このあたりでは、霊操の様相を帯びてきている。だから訓練である。まさに行でもある。

しかし日本人が外国とのコミュニケーションを云々するときに、真に深いコミュニケーションはどうあるべきか、それを実行してきた人間の足跡をたどってみることがそれほど読み解く努力をすることがそんなに困難なことではちょっと先思いやられる。

小巻が残してきた作品がいたるところにある。舞台の場合はいったいどのくらい残っているか把握していない。生の舞台には叶わないとよくいうし、それはそうであるが、だからといっていっときだけの幻想で忘却の彼方に追いやられるのは何とももったいない。いったん公になったものは役者個人の手からも離れ、公の財産になると私は考える。広く知らしめ義務もあれば、作品の方からすれば知られる壇上に立たされ権利がある。

映画もDVDなどかなかなり普及しているようでありながら、そうでも必ずしもない。文化の懸け橋のきっかけにもなった『愛と死』(1971)中国映画『乳泉村の子』(1992)等が、思い立った時にすぐに見ることが出来ない状況は悲しい。

民間からの発掘、アーカイブのますますの充実が望まれる。映画会社もテレビ局も、基本的にはすべて過去の作品は後世に残していくという意識をもってもらいたい。選択したり「厳選」したりすることは、担当者の感性を人に押し付けるようなものは願い下げだ。寛大なる心をもって外に出し常時閲覧壇上にしたらあとは手が離れたと考える。鑑賞のためというより生き延びるための知恵を学ぶ宝物を著作権の名前のもので作家保護でなく金儲けを許しているのはしているのはではと場である。

栗原小巻は文化・芸術こそが不変なものと信じて自分の作品をもってまで健気にけなげにもで交流の機会をもとうとしてきたが、今度は我々の番である

♦プロフィール  近江誠(おうみ・まこと)

 

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   南山大学短期大学部名誉教授

 日本コミュニケーション学会元会長

        近江アカデミー主宰

         (葉山教室、名古屋教室)

 

 

41318日(魚座)静岡市生まれ。南山短期大学名誉教授。愛知県立時習館高校教諭を経て1967年フルブライト留学生として渡米。米ボール州立大学、インデアナ大学大学院でスピーチ・ドラマ学を専攻。修士号を取得。1971年帰国。南山大学・同短大、名古屋大学、京都外国語大学院博士課程で教鞭をとってきた。1988年コロンビア大学客員研究員。日本コミュニケーション学会第6代、12代会長。現在近江アカデミーで言語パロール観に基づいた英語コミュニケーション教育訓練を行っている。

 

著書には『感動する英語!』『挑戦する英語!(文藝春秋ベストセラー)『英語コミュニケーションの理論と実際―スピーチ学からの提言―』(研究社、大学英語教育学会実践賞)『オーラルインタープリテーション入門―英語の深い読みと表現の指導―』(大修館書店)『頭と心と体を使う英語の学び方』(研究社出版、アマゾンPOD))『間違いだらけの英語学習――常識38のウソトマコト』『歴史に残る大統領の就任演説』(共著)(以上小学館)『あることば訓練の舞台裏』(朝日出版社)(近刊)その他多数。

 

 

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